終わりは始まり

元気な子どもたちの駆ける声が聞こえる。
夕方の散歩は、年老いたシャウト達の日課になっていた。
散歩とはいえ、シャウトは車いす生活を送っている。
電動車いすとどちらにするか選ぶとき、シャウトは手押しを選んだ。
普段は自分で、車輪を回すことによって移動することができる。
しかし、シャウトは、バーディに押してもらうことを好んだ。
そうすると、バーディとの距離がぐっと近づく気がするのだ。
バーディの呼気を感じるこの距離感が、とても好きだった。
シャウトが子どもたちのほうへ顔を向けるのに合わせて、バーディは車いすをそちらに向ける。
ボンバー星人の子どもたちがそこにはいた。
まだボムを出せない彼らは、ボムに見立てたボールを投げて遊んでいた。
「ボンバーシュート!」
子どもたちの掛け声が聞こえる。
形だけでも、ボンバーマンに近づけるようにしているのだろう。
「あはは。へたっぴ。そんなんじゃ、当たらないぞ!」
「絶対当たるようになるもん!」
「そうか?あの伝説のボンバーマンであるシロボンのようになるのは無理じゃないか?」
そんな声が聞こえる。
そう、彼らの夢は、シロボンのようなボンバーマンになること。
ヒゲヒゲ団を壊滅させ、ボンバー星とジェッター星衝突の危機を回避したシロボンは子どもたちのあこがれの的になっていた。
そしてシロボンが今までのボンバーマンと違った点が一つあった。
それはボムを、攻撃のため以外に使うことの意味を伝えたことだ。
シロボンはボムを使って、武器として安全を守るだけでなく、楽しませたり慰めたり心も守った。
それゆえ、彼は兄をも超えるボンバーマンとして人々に認められるようになった。
もちろん、兄のマイティの実力が劣っているわけではない。
単純に実力だけなら、マイティのほうがやはり上かもしれない。
それは、マイティに、安全を守ってくれる絶対的な信頼を人々が抱いているとしたら、シロボンに対してはもっと友達感覚の心地よさを抱いているというような違いで。
つまり、次元の違うマイティよりも同じ次元にいるシロボンだからこそその才を伝説にしているところもあった。
シャウト達はそんな子どもたちの様子を、そっとほほえましく見守っていた。

シロボンがボムを楽しそうにいじっていた反面、扱うのを苦手としていたことを知る人物は今や少ない。
そしてプライドが高く、遊びたい盛りで練習をあまりしなかったがためにたくさんの失敗を重ねたことを知る人物はさらに少ない。
誰もが初めは下手だったのだ。
そのことを知っているからこそ、子どもたちの様子がほほえましく見える。
シロボンは、かつてシャウトに七番目のボムスターは心にあるのだと言っていた。
子どもたちのシロボンに対する尊敬を見ていると、それが正しいのだとシャウトも思うようにいつしかなっていた。
しかし、それはたくさんの失敗や経験を積み重ねて初めて分かることだ。
シロボンの息子であるそらボンも、父親のようなボンバーマンにあこがれていた。
彼は泣き虫で、よく友達にからかわれていた。
「やーい、そらボン。お前の父ちゃん、本当にあの伝説のボンバーマンかよ。」
「お前まだ、ボムだってうまく出せないくせに。」
シャウトもその様子をよく見かけていたから、今でもときどき思い出す光景だ。
そらボンはたいてい、本当だもんと半泣き状態で言い返していた。
シャウトに言わせれば、見習いボンバーマンとしてであったばかりのシロボンにそっくりで、やはり親子なんだなと思わせるものがあった。
子どもたちはそんなことを知らない。
だから、残酷なことも普通に口にする。
シロボンは実の父親ではないんじゃないかとそらボンに言った子は一人ではなかった。
だが、血筋なのか、そらボンは年を追うごとに上達していった。
無我夢中で強さを追求するそらボンに、ある時シロボンは強さだけじゃだめだということを教えたことがあるらしい。
シロボン自身、そのことを忘れていたことがあったから、そらボンが理解できていないことは特に残念がっていなかった。
ただ、かつてシャウトが体験したような、実態のある物体を通り抜けさせて、その物体に何らかの作用をさせる効果を見せただけだった。
このことは絶対に忘れてはいけないとだけ教えたらしい。
このあたりのことは、シャウトはシロボンから聞いたことでしか知らない。
シロボンは、そらボンを教えることによって、安易に答えを教えてはいけないことを学んだとその時一緒に言っていた。
ほかのボンバーマンが、七つ目のボムスターはないと言っている中、シロボンはそらボンに七つ目のボムスターはあるのだと言い続けた。
そらボンが父親の言う七つ目のボムスターの意味に気づくのはまだまだ先の話である。
もう若者とは呼べなくなったころあたりの話だ。

そのそらボンがまだ子どもだった頃も、同じような光景が繰り広げられていた。
そんな過去の記憶に思いはせながら、シャウトはポツリとつぶやいた。
「まさか、シロボンが伝説のボンバーマンになるなんてね。」
「ああ。」
それに対して、バーディが相槌を打つ。
実はシロボンはボンバーマンを引退していない。
実践からは身を引いたが、心を守るボンバーマンとしてはまだ活躍していた。
そらボンも、そんな父親の補助につきながら、自分一人でもこなしていくようになっていた。
この、目の前で駆けている子どもたちも、いつかは大人になる。
その時何人ボンバーマンになるかは分からないが、道はまだ始まったばかりだ。
想いや記憶はそうやって受け継がれていく。
「ねえバーディ。」
シャウトは後ろにいるバーディに声をかける。
「なんだ?」
バーディはそんなシャウトに聞く。
「あたしたちも、ずいぶん年取ったね。」
そう言って、くすくすとシャウトは笑った。
当たり前だとバーディもつられて笑う。

一つの歴史が幕を閉じようとしていた。
しかし、それは新しい歴史の開幕をも意味している――。
もともと子ども設定パロはシロボンが伝説のボンバーマンになったことを回顧するシャウトとバーディの図からできました。
その時に、シャウトは車いすでバーディがそれを押す役設定ができていた(笑
若干サブブログに書いていたものを書きなおして、短いけれど一つの話になるようにしてみたつもりです…。
40分ほどで書いたから作品の質は保証しない;;
個人的にはシャウトは70代あたりをイメージしていたりします;;
ベースになる話だからこそ、早めに書きあげたかった…!
ってことで、個人的には物語の終わりからすべてが始まったことも意味してこんなタイトルになりました;;

戻りませう