入学式を翌日に控えたとはいえ、まだ春休みの朝だった。
休みという休みには率先して休んでいるような学長がこの日は学長室にいた。
八時を回った直後、その戸をたたく音がする。
「あいとるぞ。」
学長――アインが戸に向かってそう声を投げかけた。
ドアから現れたのは、一人の青年。
翠がかった長髪は乱れ、だらしなく着られたシャツ姿で、学長に会う格好とは到底思えない。
「失礼します。」
それでも一応学長に対して敬意を表してか、入室時にそれだけは言う。
「相変わらず時間に正確じゃな、バーディ。」
アインが青年にそう声をかけた。
「そりゃ、学長に呼び出されましたから。」
そう、入学式の前日とは言え、式に参加しない在校生にしてみれば春休みの真っただ中という変な時期に呼び出しをしたのはアインのほうだったのだ。
しかも、バーディは今年高校三年生になる。
こんな忙しい時期になぜアインが彼を呼びだしたのか、その疑問が顔に浮かんでいた。
「今日が何の日かわかっていて呼び出したのなら許しませんよ。」
「わかっとる、わかっとる。マイティの入学式じゃろ。」
立場はどっちが上なのか、思わず聞きたくなるような力関係が微妙に見え隠れしている気がするのはおそらく気のせいだ。
「じゃが……学校が始まる前に頼みたいことがあるんじゃ。」
アインがバーディに頼みごとをするのはこれが初めてではない。
ひょんな……本当に些細な……きっかけでバーディとアインは知り合うようになったのは数年前のことだ。
バーディの情報収集能力に舌を巻いたアインは、学内の状況というものを定期的に教えてくれるよう頼んだ。
教員などが生徒とかかわるには限界がある。そして、生徒でしか見えてこない現実もある。
そこからアインは学内の情報を集めるようになり、解決の図れるものに関しては陰で手を打ってきた。
「バーディ、お前もツイストさんをしっとるじゃろ。」
知っているも何も、この二人の出会いのきっかけがここにある。
ツイストというのは、夏海館というラーメン店を一人で営んでいる店主のことだ。
ここのラーメンは美味ということで、バーディもアインも好んで食べに来ていた。
そんな二人が出くわすのも時間の問題だったわけで。
「ああ。最近は行っていないが。」
本業の勉学に追われ、ラーメンを堪能するだけの余裕が今のバーディにはなかったのだ。
「そのツイストさんがどうしたんだ?」
「明日、ツイストさんの一人娘が入学してくるんじゃ。」
バーディの問いにアインが答える。
その答えに、バーディは思わず片眉をあげる。
「お前もしっとると思うが、彼女には母親がいない。わしらには何も出来んかもしれんが、見守ってほしいんじゃ。」
片親世帯というのはそこまで珍しくはなくなってきたが、それでも子どもの世界ではまだ肩身の狭くなる刻印でしかない。
バーディの記憶に残る少女は、父親の手伝いで店で働く姿のみ。
いつも来た客に対して明るい笑顔を振りまいていた。その裏にどのような過去を秘めているのか想像がつかないほどに。
事情を知っているバーディが考えたことがないのは、その現実に触れることに対して臆病だったのかもしれない。
「そうか、もうそんな年になったのか……。」
初めてバーディが彼女に出会ったのと、ほとんど同じくらいの年に。
今のバーディなら、彼女に対して慮ることも、できるかもしれない。それくらいまでは、成長していたい。
様々な記憶を反芻しながら、少女の心に身を寄せ、彼女の立場に立とうとした。
そして、この歳月は幼い少女にどのような影響を与えてきたのか、そのことに思い至った時、バーディに一つの疑問がわいた。
「そういえば、小学校はどうしていたんだ?」
母親がいないという現実は、中学以上に小学校のほうが風当たりが厳しいだろう。
そんな状況に耐えてきたのか、耐えられなかったのかバーディにはわからないが、アインが頼む以上は何かあったのだろう。
「小学校には通っていないんじゃよ。まあ、無理もないことかもしれんがのう。」
バーディの問いにアインはそう答えた。
「だが、学校に行かないわけにもいかないじゃろ。それでわしが預かることにしたんじゃ。」
アインはそう続ける。もちろんこれは公にするような話ではない。
知り合いが運営している学校というのは特別扱いではないが何かと安心できるものがあるのだろう。
そしてこのことを知っているのはおそらくアインとバーディとツイストの三人のみ。
「それだけじゃ。早くマイティに顔でも見せてあげてこい。」
そう言ってアインは話を締めくくる。
気がついたときには優に三十分は時が過ぎていた。
さーて久しぶりにラーメンでも食いに行こうかのうとか何とかアインがつぶやく声がする。
どうやらアインはこのためだけに学校に来たようだ。
「じゃ。了解した。」
そう言ってバーディは部屋を出た。
失礼しますとか何とか言わないのは、アインが先に学長と生徒の関係を崩したからだと内心で言い訳をする。
そしてバーディはマイティの元へ行くことにした。
他星の高校を受験した、親友とその彼女の入学式に挨拶だけでもするために……。


短いですが。この二人は裏でこういうことがあったのかなぁ、とかなんとか。

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