それはまだ暑さの残る秋の初めのことだった。
夏休みが終わり、久しぶりにクラスメイト達と顔を合わせる。
ナツキは時々夏海館に遊びに来ていたので、そこまで久しぶりとは行かないが、ほかのクラスメイトとは久しぶりにシャウトは顔を合わせた。
夏休み、シャウトは進学前の生活に戻ってほぼ毎日お店の手伝いをしていた。
もちろん、出前も行っている。
父親と二人三脚で営んでいる店である以上、シャウトがいる時間帯しか出前は行えない。
そのため、出前はお得意様に対するサービスとなっていた。
そして、それゆえに忙しく働きまわるシャウトの姿はよく見かけられていた。
これは今まではシャウトを知っている人が限られていたがために気にとめられる光景ではなかった。
だが、今はクラスメイトどころか学内のどれくらいかはシャウトを知っている。
シャウトという人を知っていて、どういう過去を持っているかは知らない人たちが多くなった。
彼らは忙しく働きまわるシャウトを様々な思いで見ていた。
だから、小さな事件が起きてしまった。

人の悪いうわさというのは瞬く間に伝わっていく。
六月の時点では一部の人の中で、シャウトには母親がいないといううわさが流れていた。
そこに夏休みに得た情報が加わる。
彼らの遊ぶ時期に、シャウトは遊ばず働き続けていたのだ。
これらの情報を総合して、彼らはうがった結論を出してしまった。
母親は愛人とどこかへ行ってしまったのではないのか。
その時にお金を全部持って行ってしまったのではないか。
実は多大な借金を抱えていて、その返済にシャウトは使われているのではないか。
そのような憶測が飛び交っていた。
うがった見方をして考えていたとは、もしかしたら彼ら自身気づいていないかもしれない。
悪気があるにしろないにしろ、うわさは面白いほうがいいと考えてのうわさなのだから。
いくらナツキがうわさに詳しいところで、うわさを流すことができても消すことはできない。
言葉の暴力に、シャウトは耐え続けるしかなかった。
アインやバーディがこの事実を掴んでいないわけがなかったが、彼らですら人の口に戸は立てられない。
ナツキのうわさの仕返しをそっと黙認する程度のことをする程度だった。
そのシャウトにまつわるうわさがどう変化していたのだろうか。
「なあ、お前、金のためなら何でもやるっていうのはホントか?」
そんなことを聞く男の子たちが、シャウトを囲んだ。
私立とはいえ、お坊ちゃん・お嬢様学校ではない。
色々な背景を持つ人が集まっているのだ。
そしてシャウトと同い年ぐらいだと、半年たったとはいえまだどこか小学生の延長線である子も多い。
これからシャウトに何をするつもりなのか、それはだれも想像のつかないことだった。
ナツキがそばにいなかったのは偶然なのか、それとも狙っていたのか。
恐怖の中、そんな疑問がシャウトの脳裏をよぎった。
でも、おそらくナツキはこの様子を見ている。
基本的に一緒に行動しているため、片方が来ないときはもう片方が探しに行くのが普通だ。
ナツキはこのような状況には聡いところがあるから、きっと何か考えているかもしれない。
ナツキがけしかけたという可能性も否定できないでもないが、ここは初めてできた友人を信じるしかなかった。

その時ナツキは高校側の教室の間を駆けていた。
シャウトが数人の男の子に囲まれた様子をナツキは見ていた。
シャウトはそれが誰だか知らないが、ナツキはそのうちの数人に見覚えがあった。
男女の体の違いについて気になる年頃ではあるが、彼らの場合はそこにとどまらないのだ。
プライベートを詮索しない主義とは言っているが、ナツキは彼らのプライベートの特異性も知っていた。
彼らも被害者ではある。
だからと言って友人に同じ被害をこうむらせるわけにはいかないのだ。
ナツキは友を守るため、嫌いだということを棚に上げて全力で走っていた。
「どうしたんだ。」
そんなナツキの前に、一人の先輩が現れ声をかけた。
ずいぶん悠長なものだとナツキは思う。
そう、その先輩こそナツキの探していた人物だった。
シャウトと何らかの関係がある、バーディである。
「先輩、何も知らないんですか!シャウトが!」
ナツキがそう言った途端、バーディの表情が変わった。
もともと鋭い目はさらに鋭く細められる。
普段はポーカーフェイスなバーディも、シャウトがらみでは良くも悪くも表情豊かだ。
ここまでバーディの表情を変えられる人物は、かつて在校していたマイティくらいしかいない。
「中学生が血相を変えて走っていると聞けば…。」
バーディはそうつぶやく。
「で、どこだ?」
バーディの視線を受け止め、ナツキは場所を言う。
後のことはバーディに託すしかない。
場所を聞いたバーディはすぐにその場へ向かって駆けだしていた。
ナツキはその背中を見送るだけ。
いつの間にか、バーディの姿は見えなくなっていた。

少年たちの手がシャウトの体に伸びてきていた。
いくつかの手はシャウトの四肢を押さえ、またいくつかの手はシャツなりスカートの中なりに伸ばされている。
馬乗りになっている少年の体重も感じて若干苦しい。
何が起きようとしているのか気付いたシャウトは必死に抵抗しようとした。
それでも、数人の少年の力にかなうはずがない。
無意味と分かっていても首を精いっぱいそらすのが限度だった。
「そこで何をしている。」
そんなとき、シャウトの耳に低い男の声が聞こえた。
それは少年たちも同じで、彼らの間にも一瞬、緊張が走っていた。
「ば、バーディ先輩……。」
おずおずと声のほうへ顔を向けた少年の一人がそう声を漏らす。
バーディ先輩?シャウトは少年の声の意味を反芻する。
あの声はバーディ先輩のものだったのだろうか?
てっきり教師の一人だと思っていたシャウトは、教師でなかったこととバーディが来たことに驚きを隠せないでいた。
空耳ではないかと確認しようも動くのは首だけで、少年たちの足しか見えない。
顔をあげて見れば、少年たちは教師に見つかっていないことへの安堵とバーディのただならぬ雰囲気に怯えをにじませた複雑な表情をしていた。
「そいつを離してくれないか。」
字面だけを見るなら穏やかなセリフも、怒りににじませた声では逆に恐ろしい。
そして、バーディ先輩だと思って聞いていると確かにその声はバーディのものに聞こえてきた。
少年たちはどうすべきかお互いの顔を見合わせる。
「でも、先輩には関係ないじゃないですか!金はいくらでも……!」
「彼女は承諾していないだろ。それに俺に関係なくはないからな。今すぐ離れないなら力ずくで離させるぞ?」
一人の少年の言葉を言い終わる前にバーディがそう言った。
承諾していない。それはそうだ。
確かに夏海館の経営はシャウトの生活に直結している。
だからと言ってお金のために何でもやるほど落ちぶれてはいない。
そこまでシャウトのプライドは落ちてもいない。
少年たちはバーディと対峙して勝算があるか目で確認し合っているようだった。
人数でいえば、バーディは一人だけ。分が悪い。
それでもバーディにはかなわないと思わせる何かがあった。
「関係なくないってどういうことですか!彼女とかでもないのに!」
あくまでも戦えるところまで戦ってみる、それが結論のようだった。
案外強気で行けばうまくいくと思っているのかもしれない。
「お前らに教えてやる義理がどこにある?それと俺は気が短いんでね。」
そうバーディが言うが否や、シャウトの上に乗っていた少年が吹き飛ばされた。
派手に殴られた音と、少年が壁に体をたたきつけた音が時間差でシャウトの耳にも届く。
「こうなりたくなかったら今すぐにここから去ることだ。」
バーディがそう言った時、シャウトはようやく少年たちの頭から突き出たバーディの頭を確認した。
おそらく、先ほど少年を殴るときに距離を詰めたおかげで見えるようになったのだろう。
少年たちは寝かしつけたシャウトを押さえているため、頭の位置が必然的に低い。
見下すバーディの視線に、完全に蛇に睨まれた蛙のようになっていた。
「失せろよ。」
駄目押しするかのようにバーディは言う。
その声に、少年たちは蜘蛛の子を散らしたかのように散り散りに逃げていった。
そんな様子を他人事のようにシャウトは見つめながら、あたしでも逃げるわとふと思った。
「シャウト、大丈夫か?」
バーディがそう言ってシャウトの顔を覗き込む。
先ほどまでの氷点下何度という視線が一瞬にして、温かみのあるものに変わっていた。
バーディもかがんでいて、片腕をそっとシャウトの頭の下へ滑り込ませた。
もう片方の腕で支えながら、割れものを扱うような慎重な手つきでシャウトの体を起こす。
少し横を向けば、そこにはあこがれのバーディ先輩の顔があるという現実に、シャウトは緊張よりも安堵をおぼえた。
こんなにバーディに近づいたことはない。
それなのに緊張感は、本当に感じなかった。
よっぽど怖かったんだということにシャウト自身が気づいた時、ふいに涙があふれ出してきた。
そのままシャウトは、近くにあったバーディの肩に顔をうずめてしばらく泣いた。
その状況に、バーディは若干戸惑いを見せつつもシャウトの頭をそっとなでてくれた。

「ずっと、大変だっただろ。」
シャウトが落ち着いたころ、バーディがそう言った。
家のこと、うわさのこと、勉強のこと、きっとそれらすべてを指しているのだろう。
「何もできなくて、ごめんな。」
バーディがそう謝る。
シャウトは首を横に振って、バーディのせいではないと伝える。
母親を喪ってからのシャウトは、人に迷惑をかけないよう、何でも自分でやろうとしてきていた。
誰かの親切に甘んじることはいけないこととしていた。
でも、もしかしたらいつかナツキが言ったように、甘んじたほうがいいこともたくさんあったのかもしれない。
誰かを頼らなかったために、その誰かを傷つけてしまうようなこともあるのだということに気付いた。
「バーディ先輩だって忙しいはずなのに……。」
仮にも受験生だ。この時期に、こんなところで油を売っていいはずがない。
「そんなこと、お前が気にすることじゃないさ。」
バーディは空いているほうの手でシャウトの髪をかきまわす。
そんな些細なことだけでも、シャウトは今ここでバーディを独占している状況を赦された気持ちになった。
勉強する時間を削ってただシャウトのそばにいてもらうだけという状況のどこも、本来赦されることではない気がしていても。
ほかの少女たちがどんなに憧れていても、遠くでしか見ることのできない人物の肩で泣き崩れることだって、彼女たちが許すとは思えなくても。
「遠慮しなくていいんだ。もっと人を頼ればいい。」
バーディの優しさに触れたシャウトは、再び泣き出した。
なぜ涙が出るのか、シャウトは分からなかったがとにかく泣いた。
バーディはシャウトの抱えてきた辛さやそんなものをすべて受け止めるかのように、ぎゅっと抱きしめた。
「お母さん…お母さん……!」
バーディの肩口で泣きながら、シャウトは亡き母親の面影を求め声をあげる。
「生きていれば、それだけでよかったのに。……よかったのに!」
どうしてと漏れる声はただバーディの耳にだけ届く。
シャウトが泣いている間、バーディはただ黙ってシャウトを抱きしめるだけだった。
シャウトにはその温かさだけで十分だった。

後日、ナツキがこの時の自身のことをシャウトに語った。
バーディがどのように少年たちを追い払ったのかは地道に調べ上げて知ったらしい。
ナツキが来た時はシャウトがバーディの肩を借りて泣いていたところだった。
シャウトの突然の行動に虚をつかれたバーディは、目を大きくさせた後そっぽを向きながらもシャウトの頭をなでていたらしい。
そのあとシャウトが落ち着いて、また泣き出して、その様子を一部始終ナツキは見ていた。
シャウトを抱きしめながらも、バーディは一度ナツキのほうに顔を向けた。
たぶん、バーディはナツキがいたことにずっと気づいていたのだろう。
「でもあれは、たぶん嫉妬の嵐になるよ。」
ナツキはシャウトにそう言って笑った。
もしかしたらバーディもそれを知っていて、シャウトにあまり近づかないようにしていたのだろう。
シャウトとバーディの仲を詰問する場合、シャウトに聞きに行く女子が多いだろうというバーディの判断から今は時々バーディも顔を出すようになっていた。
正直なところ、シャウトにもどんな関係なのかわからないため、そんな女子たちに囲まれても返答に窮すだけだろう。
そんな女子たちの相手を、バーディが一手に引き受けるというのだ。
驚くシャウトに、もともと俺がまいた種でもあるからなとバーディは笑いながら言った。
ナツキはナツキで、学内の情報庫と情報交換できる機会ができて感激だと大喜びしていた。
彼女はこの学内では珍しい、バーディに対して黄色い声をあげない少女だ。
純粋にバーディの情報網に関心があるようで、これにはシャウトが安心した。
バーディは最初は戸惑ったものの、ナツキの情報に正確性を求めることを条件に情報交換を許した。
ナツキの情報収集能に優秀性が見いだせたら、徐々に彼の立場を譲っていくつもりなのかもしれないが、これはシャウトの預かり知らない話だ。
このときシャウトはまだ、バーディに近づきたいがためにシャウトに近づく少女たちが増えることを知らない。
そしてそんな不純な動機を持つ人を友達と認められないとバーディとナツキがことごとく一蹴していくのもまだ先の話である――。


とくに理由はないけれど、9月新学期が始まったころあたり。
母親がいないだけでいじめの対象にされそうですが、言葉の暴力に対してはシャウトは耐えていそうなイメージがあります。
性虐待は、幼いころに経験すると、低年齢で加害者になる子が多いそうです。どこかで聞いた話ですが。
うわさがうわさを呼んで、うわさだけでそんな行動を、もともとやりたいという要求があったから起こすかわいそうな子どもたちを登場させることにしました…。
自分たちが被害者だからといって、加害者になることに正当性はない。ナツキはそう思っています。
でも被害者である以上、救済してあげるべきであるとも。
バーディと相談した結果、バーディがアインにこのことを報告して対策を打ってもらうことになるかと思います。
軽い気持ちで始めた学パロなのに、なんか重いテーマになってすみません;;

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