prologue ―calling―

「社長、サーチャーズ・アイの柳編集長から電話がかかってきていますがどうなさいますか」
物語はこの一本の電話から始まった。
場所は社長室。社長室という名前から想起させる豪華さはあまりないが、それでも初流はこの静かな場所が好きだった。
そんな場所に子機を抱えて現れたのは一人の女性。
初流の秘書をやっている。名前は覚えていない。
採用面接等は人事課だけでなく初流も加わっているので知らないわけではない。
透太とかに言わせたらかわいそうなこと――らしい。
ただ初流にしてみれば、興味のないものを覚えておくだけの無駄はしないだけだ。
名前が必要になった時は、目の前のパソコンから検索すればいいだけのこと。
「あー、取材なら……」
そこで初流は言葉を切った。
取材は広報班以外には原則拒否してきている。
広報班が受ける取材に関しては、広報班が受けるかどうか決めるため初流に話は回ってこない。
決まった後で広報班の担当者が連絡に来るくらいだ。
秘書の女が来たということは、初流に取材したいと言うことなのだろう。
「どうなさいました、社長。いつものようにお断りしましょうか?」
そう、形式上初流に話を通すだけでいつも断っている。
普段なら初流も即答で断っていた。
だが、今回は違う。言い淀んだ理由は『サーチャーズ・アイ』という雑誌名が絡んでいた。
柳編集長がどのような人物かは知らないが、サーチャーズ・アイは初流が唯一読んでいる雑誌だ。
読んでいる理由は友人がこの雑誌上に記事を載せているから。
取材は面倒で断っていたが、十年振りに友人と再会できるなら悪くないかもしれない。
そう初流は結論付ける。
「いや、俺が話す」
「珍しいですね、社長が興味持たれるなんて」
電話をよこせと伸ばした腕に、秘書の女が笑いながら渡した。
「それでは、通話が終わりましたらお呼びください」
電話の内容を聞くと言う無粋なまねはしない。
秘書の女は初流に挨拶をし、社長室を後にした。

「もしもし……」
――もしもし、カメリアの椿社長でしょうか。
受話器を取った初流にそう話しかける声がした。
声の主は男性だ。どこか嗄れた音は初老の印象を与える。
――私(わたくし)、サーチャーズ・アイの柳英巳と申します。
何も言わない初流に、電話の主はそう言葉を続ける。
そこでしばし間が空いた。
「ああ、そうだ」
少し考えを巡らせた初流は、結局最初の問いに肯定で返した。
柳という姓に引っかかりを覚えたが、とても珍しい姓というわけでもないだろう。
――実はとある筋から、社長がウチの雑誌をひいきにしていると伺い、お話をしてみたいと思うのですが……。
初流がそんなことを考えているとはつゆ知らず、英巳が言う。
そのあとも英巳の言葉がしばらく続いたが、要は取材したいと言っていることと大して変わらなかった。
初流は適当に英巳の言葉を聞き流しながら、しかし取材の意向は了承することにした。
さすがに来る記者は企業を相手にしている人間だろう。
友人の記事を読む限り、芸能担当である以上来ない可能性は高い。
記者の希望等を英巳は聞いてこなかったので、初流もあえて指定しないことにした。
その代り、場所は自社の会議室を指定した。
この時すでに追い返すつもりだった、というのは初流にしか知らないことだった。
そして数日後、小柳と名乗る記者が初流の前に現れた。
先に会議室で座って待っていた初流のもとに、秘書の女に案内されて彼は入ってきた。
その男の第一印象は、透太に似ている、だった。
秘書の女が退席した後も、小柳は立っていた。
初流に座ってよいと言う合図が出るまで座らないつもりらしい。
そういう意味では、礼儀をしっかりわきまえているようだ。
「お初にお目にかかります。『サーチャーズ・アイ』ビジネスを担当する小柳……」
「誰だ、お前」
名刺を渡そうとする小柳に、初流はそうバッサリと切り捨てた。
「ですから、小柳……」
顔色を窺うように言う小柳に、初流は鼻で笑う。
柳と言い小柳と言い、似たような名前ばかりとはからかっているのか。
「悪いが、あんたと話す気はないんだ。受けると言った以上取材は受けるつもりだけどな」
初流の言葉に、小柳はしばし考えた末にこういった。
「社長は『サーチャーズ・アイ』を愛読してくださっていると伺いましたが、特にどのコーナーがお好きでしょうか。担当の者と話されたほうがきっと有意義でしょう」
小柳としてはご機嫌取りのつもりだったのかもしれない。
しかしこれこそが初流の待っていた言葉だった。
わざとらしく折り目のついたページを広げ、小柳にこの記事が面白いと見せる。
「記者の観察眼が面白いな。洞察力もなかなかだ」
そうほめてみせるが、そのページはもちろん初流の友人が書いた記事。
彼女の洞察力が恐ろしいことは昔から知っている。
小柳のほうは難しそうな顔で記事をじっと見つめていた。
担当分野が違うのだ、無理はないかもしれない。
「わかりました、編集長に頼んで柳の方とお話できるよう手筈と整えます」
それでも取材ができると言う餌が前にちらついている以上、初流の機嫌を取るための言葉を小柳が言う。
現実としてそれがどれほど難しく、他分野にとられることがどれほどの屈辱なのか初流は知らない。
ただ、あっさり引いた小柳を、不敵な笑みを浮かべて見送るだけだった。

そのあと小柳の中で葛藤があったのか、それとも編集長との折り合いがなかなかつかなかったのか、連絡が来たのは数カ月先のこととなった。
電話の主は最初のころと同じ、編集長の柳。
彼はもしかしたら彼女の性格をある程度知っているのかもしれない。
初流に対して唐突な無礼を詫びたうえで、二日後なら彼女は仕事が休みになっていることを告げた。
その時柳は先に逃げ道をふさがないと彼女は受諾しないかもしれないと笑っていて、初流にはそれが面白くなかった。
上司である以上、知っていて当然と言えば当然なのに許せない自分が面白くもない。
それが彼女だから、というのを初流は自覚している。
そして、彼女に会うためならどんな用事だろうと空けてしまうのだ。
だから初流は手帳を確認しなかった。
帳尻合わせは秘書の彼女に任せてしまえばいい。
もう初流には友人に会うためのプランが練られていた。
十年振り、もしかしたら向こうは取材相手が自分とは知らない。
それらを踏まえたうえでディナーが無難だと判断し、八時以降という時間を指定する。
柳はそれを了承し、明日彼女に伝える旨を告げてきた。
具体的な時間などは明日決めてほしいとのことだ。
柳の言った通り、翌日電話がかかってきた。
初流が電話に出たのだが、彼女は電話の主が初流だとは全く気付いていないようだった。
そのことに初流は内心残念に思いつつも明日、彼女をどう驚かせようかとわくわくもした。
「それで時間のほうはどうなりましたか」
電話を取りに来た秘書の女が聞いた。
前日の段階で秘書には取材のことを話していたが、具体的に決まった時間を知らなければ彼女はスケジュール管理ができない。
「夜の八時だ。終わり次第帰宅予定」
初流が言った。いつ終わるかわからない、というよりも初流のほうが終わらせる気はない。
電話での打ち合わせでは写真等は禁止、来るのは彼女一人だけということになっているので、せっかくの二人っきりなのだ。
時間を気にして過ごすなんてまねはしたくなかった。
そんな初流にもう慣れたのか、秘書の女は文句一つ言うことなく了承した。
会議の類はその時間帯に入っていなかったので、彼女はせいぜい片付けるべき書類を七時までに終えるようくぎを刺したくらいだった。

その翌日夜八時、彼は彼女と再会した……。
2010.01.02
戻りませう