prologue ―再会―

「柳ー!編集長がお前を呼んでいるぞ!」
取材した内容をいかようにまとめようかと悩んでいるかのこを呼ぶ声がした。
オフィス内が騒々しいため、かのこを呼ぶ声は必然的にはり上げられたものになる。
編集長が一体何の用事だろう、そうかのこは思うものの、呼ばれている以上行くしかない。
「わかりましたー!今行きます!」
かのこはそう声を張り上げ、返事する。
目の前でちかちか点滅するパソコンのカーソルを見ながら、きりの悪い原稿をどうするかしばし考える。
今かのこに残された選択肢は二つだ。
一つはきりがいいところまで書き進めてしまうこと。
多少遅れたところで取り返しのつかなくなるような重要な用事だとは思えない。
もう一つが、続きを書くことをあきらめて、現段階で一度保存してパソコンを閉じてしまうことだ。
かのこの、というよりもオフィスで使われているパソコンのほとんどすべてはノート型である。
画面を閉じてしまえばスリープ状態になるため、ロックがかかり中身を守ることができる。
パソコン自体は起動されたままだが、画面が真っ暗になることによって液晶を守ることもできる。
しばし悩んだかのこはしかし、ファイルを保存して画面を閉じることにした。
考えたところで続きが思い浮かぶとは思えなかった。
画面が暗転したことを確認してかのこは席を立つ。
今行くと言った以上は、編集長のところへ行くしかない。
お義父さんが一体何の用事……?向かう途中、かのこはそう考える。
かのこの義父である編集長は基本的に仕事にしろプライベートにしろ、かのこに用があるときは家で話しかけてくる人だ。
職場でかのこを呼びだすことは、婚姻後は無いに等しい。
つまり、かのこでなければならない仕事があると言うことなのだろう。
そこまで考えたところで、かのこは義父の机にたどり着いた。

場所を移そうと言う義父―英巳―の提案で会議室へ移動した。
普段十人弱のグループで使われる会議室に今はかのこたち二人しかいない。
向かい合って座っていると、どこか居心地の悪さを感じるが仕方ない。
「それで私に話とはなんでしょうか」
そうかのこはいきなり本題をついた。
英巳はしばしかのこを見つめ、どう言えばいいのか逡巡しているようだった。
お義父さんらしくない、それがかのこの印象だった。
大学卒業してからこの職場で働き続けているのでかれこれもう6年、結婚してから2年が経過している。
公私ともに見てきただけあってそれなりに英巳の人物像はつかめているつもりだ。
かのこのちょうど倍の人生を歩んでいるだけあって、英巳の知識は奥が深い。
常に適切な言葉や未来を知っているようで、言い淀むことなんて見たことがなかった。
「カメリア、という企業を知っているか?」
逡巡した揚句、英巳はそう聞いた。
どこか世間話をしているような気分になるが、きっとこれも仕事の話につながる。
緊張感を持ってかのこは話を聞くことにした。
「ええ。最近急成長した企業ですよね。確かIT系だと聞きましたが、それがどうしたんですか」
英巳の問いにかのこはそう答える。
「そこの社長がどんな人物か、知っているか?」
答えたかのこに、英巳は再び質問を投げかけてきた。
一応芸能記事を担当するかのこにとって企業の社長とかは専門外ではある。
ジャーナリストとしての最低限の情報しか持っていない。
「いいえ、確かあんまり表に出ない方ですよね。名字だけは出ていたような気がしますが……椿、でしたっけ」
だからかのこの答えは必然的にこうなってしまう。
カメリアという企業はどこか不思議で、IT系でありながらどこかネットに対する不信感を強く表に出しているような企業だ。
サイトにある企業紹介では、会社の概要等はあるものの、社長の言葉などは掲載されていない。
そして、マスコミとかの取材は広報班が受けるもの以外拒否している。
取材の中身も、企業に関するもののみ答え、社長に関するものやその他社員にまつわるものすべてNGとなっている。
そのため、社長がどういう人物なのか知るための情報はほとんど外部には流出されない。
社長の名字が椿だと言うのはどこかで見たのか、ビジネス担当の記者から聞いたのか、かのこは覚えていない。
ただ、かろうじて記憶に引っ掛かっていたと言うだけ。
なぜ覚えていたのかもわからない。もしかしたらどこか昔懐かしい記憶に引っ掛かったのかもしれない。
「そうだ、椿社長だ。とある情報筋から、椿社長はウチのお得意様だと知って、取材させてもらえないか数ヶ月前に打診し、了承がもらえたんだ」
どうやら、ここからが本題のようだ。
今わかっている情報は、そのマスコミの取材を拒否し続けた椿社長が、なぜかかのこたちの雑誌の取材は受けると言ったことくらい。
英巳としては雑誌を介した付き合いではなく人と人の付き合いをすることによってよりつながりを深めようという目的があったのだろう。
だが、椿社長にはどんなメリットがあるのか?
会社も会社なら、社長の人物像もまた謎が多い。
「でも、それなら私ではなく、ビジネスの小柳さんあたりが無難ですよね」
小柳というのは、ビジネス担当の中ではかなり定評のある記事を書く記者だ。
人当たりがよく、どんな環境にいてもすぐにいろんな人を味方につけてしまいそうな人物である。
本人はまだまだひよこだと言うが、13年も働いているためかキャリアが違う。
変わり者の相手をするくらい慣れたものだろう。
「最初は小柳君に行ってもらったんだよ」
英巳が頷き、そう言った。
行ってもらった、でもこの話がかのこのところへ流れ込んだ。
このことからわかるのは、小柳を受け入れなかったが、取材はまだ、受け入れる意思があると言うこと。
専門外のかのこに話が来たのは、もしかしたら椿社長直々の指名かもしれない。
「それで私に指名が来たんですか。隅から隅まで読んでいるなら、確かに私の名前を知っていておかしくないとは思いますが」
記事の内容にそれぞれ責任を持たなければならないため、記事には担当記者のフルネームが必ず入っている。
「そうだ」
「でも私は専門外ですよ。何を聞けばいいのですか」
静かに頷く英巳に、かのこは叫びたくなるのをこらえる。
ばっかじゃなかろうか、そういいたくなったが、相手は上司であり義父。
喉まで出かかったその語句も飲み込むしかない。
「大丈夫だ、君の見る目を信じればいい」
英巳はそう言って、これで話は終わりだと言う風に立ちあがった。
「唐突かもしれないが、明日の夜八時以降なら大丈夫だそうだ。具体的な時間については会社のほうの電話にしてくれとのことだ」
そう言ったかと思えば、英巳は会議室を後にした。
残されたかのこはしばし呆けたのち、あきらめたように会議室を片付け自分の席に戻る。
せっかくのオフ日なんだけどな、そうかのこは思ったが、決まってしまったことに文句はつけられない。
英巳のほうもきっと、オフ日だと知っていてその日に約束を入れたのだろうから。

翌日夜八時、椿社長の指定でとあるレストランへ向かう。
料金的には割と高めなので、これで二人分払うとなったらしばらくは色々な意味で経済的につらくなる。
というよりも、取材するだけなら何もレストランにする必要はないのでは、と思うのだが社長業がどんなものかわからないかのこには何も言えない。
もしかしたら本当に、食事の時間ぐらいしか手は空いていないのかもしれないのだから。
「えーと、柳かのこと申しますけれど……」
どう考えても場違いのところに来た、と思いながらも入口にいた給仕にそう話しかける。
尻すぼみになってしまうのは仕方ないだろう。
「柳様ですね。椿様がお待ちです」
どうやらすでにかのこが来ることは伝えられているようだ。
給仕はかのこに一礼すると、椿社長の席へ案内する。
案内されたのは奥にある個室。
眺めはよく、部屋だけで別料金取られそうだ。
そこにいたのはかのこと同じくらいの年の男性一人。
たぶん、彼が椿社長。
社長の人物像を一言でいえば、容姿端麗に尽きるだろう。
横顔しか見えていないが、俳優とかモデルとかで雑誌等に出ても遜色なさそうだ。
失礼します、と給仕が部屋を辞して戸を閉められれば、ここにいるのは椿社長とかのこの二人きり。
さてどこに座ればいいのやら、とかのこは一人内心で焦る。
社長クラスの相手をしたことがなければ、インタビューイとともに食事をする機会すらめったにない。
どういう対応を取れば失礼にあたらないのか、びくびくすることしかできない。
かのこの失敗は、企業の印象を壊しかね何のだから。
「遅かったな、苗床。ま、前座れよ」
自分の皿を突っつきながら、椿社長が言う。
かのこはその社長の言葉に耳を疑った。
今、なんて言った――?!
「あの、私、苗床じゃないんですけど……」
「あー、そっか。結婚したんだっけ、かのこ」
そう言って椿社長はかのこのほうを向いた。
そこにあったのは十年の歳月が流れたとはいえ、見まごうはずのない友人の顔。
何か企んでいるようにも見える椿――初流の姿がそこにはあった。
十年の間により洗礼されたとみられる奇麗な顔に見つめられて、かのこは自分の心拍数が急上昇するの覚える。
決して、かのこと優しく呼ばれたからではない、相手は昔の友人、そう必死に自分に言い聞かせる。
何か嵐の予感を感じさせる静けさだけが流れた。
2009.12.27
戻りませう