ある日の夕食

八雲は一人で道路を歩いていた。
基本的に引きこもっている印象の強い八雲が一人で歩いているのは珍しいことなのかもしれない。
目的地はとあるレストラン。
八雲の脳裏に数分前の敦子とのやり取りがよぎった。
――たまにはいいじゃないの。奈緒ちゃんのためにも、席取ってあげてよ。
そう言ってにっこり笑う敦子。
そしてご丁寧にも、店の名前と住所の書かれたメモを手渡してきた。
レストランだったらどこでもいいだろと抗議をすると、奈緒ちゃんがここがいいって言うから、と譲らない。
そこにちょうどやってきた奈緒に、別の場所じゃダメなのか聞いたら、ここがいい、の一点張り。
――私たち、準備しなきゃならないから、先に行っていて、ね?
そう敦子にお願いされた。
そして敦子は奈緒を連れて奥の部屋へ行ってしまった。
ここに残っていては、あとで敦子に怒られるだけだということがわかっていた八雲は、ため息ひとつついてから家を出た。
ちなみに後藤は後から合流するらしい。
そして今、八雲は一人でレストランへの道を歩いている。
手にしたメモを頼りに、目的地を探す。
携帯でざっと見た地図と、電信柱にある住所を頼りにして。
しばらくして、ようやく目的地が見えてきた。
何も場所を取らなくてはならないほど混んでいるようには見えない。
だが、レストランと言う場は分煙になっているところの方が少ない。
たばこの煙がなるべく流れてこない場所、と制限を入れるならやっぱり取っておく必要はあるのだろう。
八雲は頭をガリガリ掻いてから、意を決してレストランの戸を押した。

「いらっしゃいませー。」
店員の声が八雲を迎えた。
まず最初に、中の様子をよく確認しなかった己の迂闊さを八雲は呪った。
聞き覚えのある、いや、聞き間違えるはずのない声とともに、見覚えのある栗色の頭が八雲を迎えた。
「あ、八雲君!いらっしゃい!」
とてもうれしそうにその人物は顔を輝かせた。
それが友達に見せる顔なのか、八雲だけに見せる顔なのか、八雲にはわからない。
ただ、明らかに接客で見せていたのとは異質な、感情の伴う顔だということだけはわかった。
「来てくれたんだ〜。なんか恥ずかしいな…。」
そういう彼女は、若干頬を赤く染めていた。
「道理で奈緒が意地になるわけだ。」
ため息とともに八雲はそう言った。
きっと、事前に晴香が、どこでバイトしているかと言う話を奈緒にしていたのだろう。
改めて、八雲は晴香の恰好を見た。
薄い黒を基調とした服で、上は落ち着いた感じ、下は一言でいえばミニスカート。
普段晴香が着ているミニスカートとは違って、広がった印象がある。
普段の晴香とは違った印象を与えるその制服は、八雲にとって目に毒ではあった。
なんというか……大人の妖艶さをたたえているように映って、思考に空白が生じる。
「八雲君一人?どこがいい?」
そんなことは露知らず。晴香は八雲に問いかける。
「い、いや。あとで、後藤さんたちが来るから四人だ。あるのなら禁煙席で。」
晴香の言葉で現実に引き戻された八雲はそれだけ言う。
「わかった。じゃあ、こっちね。」
そう言って晴香は前を歩きだした。
八雲の動揺など、気付いていないようだった。
再び八雲はため息をついて、頭をガリガリ掻いてから晴香の後を追った。

晴香に案内されたのは、窓際の席だった。
「ごめんね、あまり分煙されていないから煙来るかもしれないけれど…。」
申し訳なさそうに、それだけ言う。
ちなみに、“喫煙席”は店の反対側にあり、申し訳程度に上に換気扇が付いている。
はたしてそれがどこまで役に立つのかはわからないが、それでも、これが精いっぱいの譲歩だろう。
この夕食時で、たとえそこまでお客がいないにしても、喫煙席から一番離れた席に案内されたのだから。
「あとで奈緒ちゃん達が来たら案内してあげるね。それじゃごゆっくり。」
そう言って晴香はテーブルから離れていった。
ほかの客の注文をとったり、食事を運んだりしている。
ドジキャラと言う印象ばかりが定着している八雲にとって、どこかでコケやしないかとその光景はハラハラするものだった。
あまりにも晴香を凝視していたのだろう。
「ねえねえ晴香。あの人彼氏?」
遠くから、そんな小さな声が聞こえた。
「それとも晴香を狙ってる?さっきからずっと晴香を見てるよ。」
楽しそうに言う声が続いた。女の声だ。
少し視線をずらしてみると、晴香と同じ制服を着た女性が晴香に話しかけていた。
同じ制服を着ているのに、その女性を見てもなんとも思わない理由を八雲はあえて考えない。
似合わないわけではない。むしろ体のラインを強調させているようで、他のオヤジたちの視線を集めていそうだ。
「違うよ…。友達…。」
晴香の小さな声が聞こえた。
そのあとも唇が動いているのは見えるのに、音は八雲に届かない。
顔を真っ赤にしてうつむいている姿は、かわいい以外に形容する言葉がない。
「ならがんばりなよ。絶対脈あるから。」
相手の女性はそう言って、晴香の肩を叩く。
なんだなんだ?何の話をしているんだ?
そう思う疑問に答える声はもちろんない。
いや、薄々答えに感づいているのだが、それに気づきたくないというのが本音か。
そしてそんな八雲を残して、女性二人は奥へ入って行ってしまった。

客が入ってきたことを告げるベルがけたたましくなった。
八雲が視線を巡らせると、そこに見知った顔が三つあった。
すぐに晴香が出て行き、二言三言、言葉を交わす。
そして八雲の方へ案内してきた。
晴香の間後ろを歩いていた奈緒はそのまま八雲の前の席に座った。
敦子がくすくす笑いながらも、奈緒の隣に座るものだから、必然的に後藤が八雲の隣だ。
八雲の顔が一層不機嫌な色を濃くして、晴香はたじろぐが、何も声をかけない。
「晴香ちゃんはここでバイトしていたのか〜。」
まさか空気を読めていないわけではないのだろう。よく分からない空気を破るように後藤が言った。
その酔っ払いの中年みたいな顔と言葉はやめてください、そう言いたくなるのを八雲はぐっとこらえる。
「はい。週に三回くらいですけれど。」
恐る恐る、八雲の顔色をうかがうように晴香は言う。
「あぁ?八雲のことなんか気にするんじゃねえ。それともあれか、迷惑でも掛けられたのか?」
そういう後藤はどこかうれしそう。
「別にここに座っているだけで何もしていませんから。」
いつもよりも二割増しぐらい声のトーンを落とした八雲の声が答えた。
「公の場で店員引っ掛けるほど落ちぶれてはいませんから。それと前も言いましたが、こいつをどうかしたいと思うのはその人の趣味です。」
そうは言うものの、八雲の方は晴香を直視することができない。
八雲の言葉一つでどのように反応するのか分かっていて、それで自分の心が痛めつけられるから。
正直、らしくないと思う。たった一人の人間の顔色だけで、こんなにも自分の心が揺さぶられるのは。
「注文が決まったら呼んでください!」
泣きそうな顔をして、それでいて涙をこらえるような顔をして、晴香は足早に去った。
それは八雲にもわかっていることだった。
きっと奥で小さく泣いてくるであろうことも。
「おいおいいいのかよ、八雲。晴香ちゃん泣かせて。」
――お兄ちゃん、お姉ちゃん泣いちゃったよ?どうしたの?痛いの?
即座に、後藤と奈緒からそんな声をかけられる。
奈緒は今にでも晴香を慰めに行きそうだ。
いや、敦子が通路側にいなかったら慰めに行ったのだろう。
敦子の体を押して、出たいことをアピールしている。
「晴香ちゃんを、邪魔しちゃだめよ。」
敦子は諭すようにそう奈緒に言った。
奈緒がこくりと頷くのを確認して、通路に立つ。
飛び出さんばかりの勢いで、奈緒は駆けだし、晴香の後を追う。
晴香は立ち止り、奈緒の目線の高さになるよう腰をかがめた。
眼尻にほんのりしずくがたまっているが、奈緒にほほ笑みかけていた。
きっと、何か話をしているのだろう。
自分がまいた種とはいえ、八雲には、そんな晴香の表情が痛々しく見えて仕方なかった。

注文は晴香がとったが、料理を運んできたのは、先ほど晴香と話していた女性だった。
去り際にきっと八雲を睨みつけているあたり、嫌われているのかなと片隅で考える。
それと同時に、仲がいいのだろうなとも思う。
別に八雲はその女性に嫌われてもなんとも思わない。
ただ、自分以外にも仲のいい友達がいる晴香に言いようのない感情が渦巻く。
嫉妬?羨望?拒絶?絶望?その感情に八雲は名前をつけられない。
――お兄ちゃん、どうしたの?
顔をあげてみると、不安そうに奈緒がこちらを向いていた。
――別に…何でもないよ。
耳の聞こえない奈緒は、相手の感情を読むのもうまい、時々八雲はそう思う。
だからこそ、奈緒を安心させるように精いっぱいの笑顔を向けた。
きっと、それでも奈緒には見破られているのだろう。
何か言いたげな顔ではあったが、結局何も言わない。
その表情が晴香とかぶり、いたたまれない気持ちになって、八雲は席を立った。
後藤を押しのけ、足早にお手洗いへ向かう。
「ちょっとアンタ。」
そんな八雲を呼び止めたのは、先ほどの店員。
まだ眉を吊り上げていて、いかにも怒っていますという顔をしている。
「なんだ。」
ぶっきらぼうに八雲は言った。
「僕はあなたにアンタ呼ばわりされる理由も、呼び止められる理由もないと思うが。」
「大ありよ。男なんだったら、はっきり言ってあげなさいよ!」
そういったかと思うと、彼女はすぐに背を向け、他の客の対応をしている。
ガラッと雰囲気が変わる。その変わり身の早さに八雲は目をむくだけだ。
彼女が言いたいのはわかる。晴香のことだ。
しかしこればかりは八雲もわからないことなので、なんといえばいいか分からない。
頭をガリガリ掻きながら、八雲はトイレのドアを押して中に入る。
避けて通ってきた道に、壁に、直面しなくてはならないようだ。
トラブルメーカーはどこまでトラブルメーカーなんだよ、内心でそう悪態をつきながら。

席に戻ってみると、先ほどまで後藤が座っていた場所に別の人物が座っていた。
栗色の頭がうつむかれている。
反対側は、窓際の席に、奈緒を乗せた敦子が、通路側に後藤の姿があった。
心配そうに、奈緒がはす向かいの晴香へ手をのばしていた。
晴香の服装は、先ほどまでのバイト着ではなく、私服になっていた。
「奥に詰めてくれないか。」
八雲はそう晴香に声をかけた。
晴香はゆっくりと体をずらし、八雲が座れるだけの場所をあける。
八雲が座ると、本当にぎりぎりだったようで、お互いの腕が当たる。
腕から伝わるのは、晴香の温もりと震え。
おそらく、まだ泣いているのだろう。
後藤たちはよく分からない気でも使っているのか、何も声をかけてこない。
時々白々しい親子の会話をしていて、お前たちのことはお前たちで解決させろと言いたげだ。
「なにか、食べるか?」
話しかける話題に困ってそう聞く。
返事はなく、ただ晴香は首を横に振るだけ。
「顔を、あげてくれないか?」
これには全くの返事がない。
「どうすれば、泣き止んでくれるのか?」
やはり返事無し。
後藤さんが見ているとかそういうことは一切頭から吹き飛び、八雲はその栗色の頭を自身の胸に引き寄せた。
一瞬こわばった晴香は、ギュッと八雲のシャツをつかむ。
優しく髪をなでながら、以前かかわった事件でも似たようなことをふと思い出した。
被害者の日記を読んで沈んでいた彼女。
あの時も、今も、胸から伝わってくるぬくもりが彼女が落ち着いてきたことを伝えていた。

会計の時、泣き止んだとはいえまだ目の赤い晴香に、あの女性が何か目配せをしていた。
晴香はそれに、小さく頷いて答える。
二人だけに通じる会話。それが何なのかは分からないのがもどかしい。
けれど、晴香がそれに触れられたくないのなら、聞かなくてもいいか、とも思う。
話す必要があったら、きっといつか話してくれるだろうから。
その時僕も、何か、君に伝えることができるだろう――。
えっと、晴香ちゃんのバイトを妄想してみよう、暴走企画@1です。
参加者大歓迎です(違
なんかいろいろと書いて行くうちに話が変わってしまいました。
我が家は敦子さんが主犯なので、今回も首謀者が敦子さんです。
晴香ちゃんのバイト先を知っていたのは奈緒ちゃんと敦子さんだけで、実は後藤さんも知らなかったという設定。
八雲君をけしかけて、晴香ちゃんを見て硬直しているとイイとか思ったり。
まぁ、晴香ちゃんだから、バイトは家庭教師とかそういうのかなーとも思うんですが…。
ちなみに八雲君がバイトしている姿はイメージできませんでした…。
八雲君が接客をやって、晴香ちゃんが客として行ったら、ノリノリで顔に指掛けてしまいそうです!きゃ!(何
八雲君、お客さんに手を出しちゃだめじゃないの!!(ヲィ
結構楽しかったですけどね。うん。
また違った職種でも晴香ちゃんにやらせてみよ〜♪(ぁ

戻りませう