彼女が消えたとき

その日、映画研究同好会には珍しい訪問客が訪れた。
長髪で、気の強そうな女性は、乱暴に戸をたたいた後、有無を言わさず戸をあけた。
双肩をいからせ、両方の眉を吊り上げ、いかにも怒っているといった態を表している。
つかつかと入ってきたかと思うと、正面にいた人物―斉藤八雲―の前で両手をバンっと机についた。
「誰ですか、いきなり押しかけて。」
眠そうな目をこすりながら八雲は問う。
「誰かはどうでもいいでしょ。あんた、晴香がどうなっているか教えてよ!」
女性は声の出る限り叫んでいる風だった。
八雲は耳に指を突っこんで、うるさいことをアピールしているが、興奮している彼女には届かない。
「僕はあいつの恋人でも何でもありません。なんで僕のところに来るのかがわかりません。」
不機嫌そうに、それだけ八雲は言った。
「決まってるでしょ。晴香が言ったからよ。」
少し落ち着いたのか、女性は言葉を補う。
「最近晴香はいつも映画研究同好会にいる友達に会いに行っていると言っていた。困った時はいつも助けてくれるいい人だって。」
補った言葉も、八雲には要領を得た説明には聞こえない。
「落ち着いてください。あいつに何があったんですか?」
女性が話すのに任せては、いつまでたっても説明が聞けない。そう判断したうえでの八雲の対応。
「一週間学校に来ていないのよ!しかも、連絡もつかない!探しても見つからない!」
「なっ――。」
女性の一言に、八雲は驚愕で息をのむ。
警察に言っても取り合ってくれない、と言う女性の話はすでに八雲の耳に入っていない。
「詳しく、教えてくれ。一週間前、何があったのか。知っている限りでいい。」
少し身を乗り出し、八雲は女性の双肩を掴んで、揺さぶっていた。
道理で最近静かだったわけだ、冷静な思考がそう呟く。
しかし、感情の方はそうも行くことがなく、女性の方を揺さぶる手が止まらない。
きっと今、もともと白い八雲の顔がさらに白くなっているのだろう。
顔面蒼白とは、まさにこのこと……。
「痛い痛い。放してよ。ちゃんと、話すから。」
女性が苦痛に顔を歪めて言う。
その声で、八雲は女性の方から手を話し、いつもの席に腰掛けた。
女性に、晴香がいつも座る席に座るよう指示をする。
「話と言っても…私はしばらく会っていないからわからないんだけれど…。」
なぜか話し始めた女性の声は弱気だ。
「美智子の話だと、川で何か見て怖かったから、っていう話をしたらしい。助けてって。それで…。」
そう言って女性は八雲に携帯を差し出した。
メール画面が開かれたそれは、受信日が一週間前の日付をさしている。
差出人の名前を確認すると、『小沢晴香』と書かれていた。
――美智子が言っていたものを見に行ってくるね。私でお手上げだったら、映画研究同好会にしばらくいるから。
たったそれだけの文章。
「あの馬鹿…。はじめから来ればいいものを…。」
思わず小声で八雲は毒づいた。
優しい晴香が友達の頼みを断れなかったのは容易に想像つく。
そして、八雲の手をわずらわせたくないから、本当に霊と関係あるのか、見えもしないのに確認して、関係なかったら自分で解決するつもりだったのだろう。
いや、もしかしたら、ネックレスのために、見えやすい体質になっているからの決断かもしれない。
わけもなく、後悔の念に八雲はかられたが、今はどうこういう時期ではない。
その念はぐっとこらえる。
「わかりました。今回はあいつが悪いので、僕が探しましょう。その川はどこですか?」
そして八雲は、女性に伝えられた川へ向かった――。

急いでも意味がないことは理性で分かっていたが、それでも急がずにはいられなかった。
気持の焦りに比例して、駆ける足が速くなる。
あいつのために、走り回るのも、これが何回目だろうか。
今回ばかりはそんなのんきなことも考えていられない。
異変に気付けなかった自分の行動が許せない。
何も考えないでいると、どうも自分を責める思考ばかりが流れてくる。
さすがに一週間前となると、手掛かりは残されていない。
呼吸を整え、ふと顔をあげると、左目が何かをとらえた。
寂しそうな表情を浮かべた女性。
「なあ……。」
そう呼び掛けて、八雲は言葉を失った。
あいつのことを、知らない人に説明するすべを八雲は持っていなかった。
「あの、私を、見えるんですか?」
女性がすがりつくような目線で見上げてくる。
「あ、あぁ…。」
その困っている表情に、思わず八雲は肯定してしまった。
内心では、晴香のことが気が気でならないのに、どうしてもほうっておくことができない。
挙句の果てに、きっと関係あるから、と厳しい言い訳を自分に言い聞かせる始末。
「お願いします。この付近で友達の宝物を落としてしまったんです。それを探して届けてくれませんか?一週間前も……。」
「あいつがどうなったか知っていますか!」
女性が『一週間前』と言う言葉に反応して、反射的に八雲はそう噛みついた。
女性は一瞬ひるんだようだが、それでも八雲の問いにちゃんと答えた。
「彼女は、探してくれたのですが、落ちてしまって…。」
そう言って口をつぐむ。まるでその先は言いたくないというかのように。
最悪の事態が、八雲の脳裏をよぎる。それだけは、認めたくない。
自分のところに来ていないということは、まだ生きているはずだ、そう八雲は言い聞かせる。
「それで探しものと言うのは?」
晴香探しと並行して行うつもりだった。それを晴香が望むのであれば。
女性の探し物は、少し年代物の懐中時計。
一人で行うには、あまりにも時間が少なすぎる。
そう判断して、八雲は後藤の番号を呼び出した。
警察に連絡したところで、きっと、家出やその類で捜査に応じてくれないだろう。
それなら、晴香のことをよく知っている、そして、いざとなれば今までの貸しを盾にできる人物を頼るしかない。
――誰だ。
相変わらずのムスッとした大きな声が携帯電話から出てくる。
「今はどうこう言っている時間はないのです。」
皮肉の一つや二つ言うだけの時間が惜しい、その一心だけだった。

数分後、川岸には三人の男の姿があった。
八雲と後藤と石井の三人だ。
探す地域を三人で手分けしているところだが、石井は顔面蒼白になって話を聞いていない。
そんな石井に喝を入れるためか、後藤のゲンコツが石井の脳天を直撃する。
「聞いていましたか、石井さん?」
八雲までもが、あきれたような表情をするので、石井は無性に申し訳ない気持ちに駆られた。
もっとも、八雲は、焦る気持ちを必死に抑えて平静を装っていただけなのだが。
三人は手分けして晴香の消息につながるもの、そして女性の霊が落としたという懐中時計を探した。
しばらくして、岸辺に打ち上げられていた晴香の鞄が見つかった。
カバンの中に入っている携帯電話が、不在の主のように真っ暗な画面しか映さない。
電池は切れているだろう。水に浸かって、携帯が壊れたかは不明だ。
八雲は、呆然とその携帯を手に取るだけだった。
まるで魂が抜かれたかのようだ、そう残りの二人は思うが口にしない。
一つは、声をかけるだけの余裕がなかったから、そしてもう一つは、どれほど八雲が晴香を大切に思っているかを見せつけられたから、という二つの理由からだ。
最悪な事態と言うのは、何度も頭をよぎるが、三人はそれを必死にわきへどけた。
もうこの時点では、遺留品が見つかっているので、警察へ晴香の捜査要請も出している。
もどかしいばかりの、晴香を探す時間だけが経過していった……。

近隣に住む住人からも話を聞く。
さすがに警察の仕事なだけに、八雲は黙って後藤らの後に立っている。
「おい八雲。お前、晴香ちゃんの写真くらいは持っていないのか?」
後藤が聞いたが、残念ながら、そんなものを八雲は持っていない。
今回、ことを大きくしたくないがために、マスコミ等への開示をしないよう頼み込んだのは八雲だ。
そして、“依頼者”の連絡先等を聞きそびれたのも八雲のミスだ。
そのため、後藤たちは、晴香の写真を一枚も持たずに捜査を行っていた。
それらしき人物の目撃情報等が見つかったら、逐一後藤に連絡が来ることになっている。
ただただ、男たちの動き回る音だけが川辺でなっていた。
誰も無駄口をたたく余裕がなかった。
普段は何かと石井に突っかかる後藤ですら、石井に対しても無言だった。
どんなに石井がドジをしても、何も言わない。いや、見ていない。
もっとも、石井も石井で、ドジをするだけの時間がなかったのだが。
そうやって聞き込みを開始して何時間も経過した。
もう外は大分暗くなっていて、家へ帰る人々が見受けられるようになった。
川を捜索していた警察たちももうすでに引き揚げていて、川岸は人っ子一人見えないくらい静かになっている。
そんな中も、八雲は後藤と石井を帰さなかった。いや、石井も戻ることを拒否していた。
後藤は悪態をつきながらも、二人につきあう。
なんだかんだ言いながらも、後藤も心配なのだ。
知らない人間だったらここまで必死にはならないのかもしれない。
しかし、知っている人間――それも、八雲を大きく変えた人間が命の危機にひんしているとなると話は別だった。
家明かりのついた家家を一軒一軒、周って尋ねて行く。
多くは知らない等の回答だった。
そんな中で、一人、違う回答をする人物が現れた。
「もしかしたら、ウチに今いるかもなぁ…。」
そう言ったのは、もう足腰もあまりよくはなさそうなおじいさんだった。
「おじいさん、お願いします。あいつは、大丈夫なんですか。」
八雲がつかみかからんばかりの勢いで聞いた。
その両手は、後藤の両手によって抑えられている。
「お前さんはだれかね。」
嫌そうに、迷惑そうにおじいさんが言った。
後藤と石井は警察手帳をすでに見せているからいいが、八雲はそういうものを持っていない。
後藤も石井も、八雲ですらなんと答えるべきか言葉に詰まった。
「あいつは…彼女です。」
咄嗟に、それでいて意外とスムーズに、そんなことを口にする。
その言葉を聞いた瞬間、石井は卒倒した。
「あの子は大分衰弱している。何もしゃべってくれないんだ。おかゆをのむくらいしか、食事もない。」
そんなことをぶつぶつ呟きながら、おじいさんはついてこいと顎をしゃくって前を歩きだす。
誰も石井には見向きもしない。
後藤と八雲は無言で、逸る気持ちを抑えて、そのあとを追う。

おじいさんの部屋のベッドの上に、彼女はいた。
呆けたように目を見開いてはいるが、体を起こすことも、腕を持ち上げることもできないようだった。
八雲は部屋に入って、真っ先に彼女の方へ向かった。
見間違えるはずもない、栗色の髪に視線が釘付けになる。
そっと枕元に八雲は近づいた。
「僕だ。」
小声でそう囁く。
彼女は、視線を少しずらし、隣に立つ人物を見ようとした。
見る間にその眼が大きく見開かれる。
「あ…わ…わ…」
何か言いたそうに、か細い声がそれだけ音を立てる。
唇が震えているが、それ以上音をなさない。
「無理しなくていい。ここにいるから。」
そう言って八雲は優しく、彼女の頭をなでる。
「おい八雲。ここって言ってもなぁ。」
後藤の大きな声がする。
「彼女は病人です。後藤さんはいたわりって言葉を知らないんですか。」
そう言って、うるさいことをアピールする。
「僕は彼女の隣にいることを約束しただけであって、いつまでもおじいさんの迷惑になるつもりはありません。」
なので後藤さんは救急車を呼ぶか、彼女を車まで運んでください。言外にそういう八雲。
見た感じ、命に別状はなさそうだった。
後藤は晴香を車の後部座席に横たわらせ、八雲はそんな晴香に膝枕をさせるようにやはり後部座席に座り、病院へ向かった。
夜間は診察料が高いが、この際仕方ないだろう。
「や…や…く…も…」
晴香のか細い声がやけに車の中で大きく聞こえた。
「どうした?」
晴香の視線を受けて、八雲が聞いた。
何か言いたげに訴える晴香の双眸。
それがふと、下の方に視線が移り、その視線を追った八雲の眼に、ポケットのふくらみが映った。
引っ張り出してみると、懐中時計だった。
「よく、見つけたな。」
馬鹿、と言いたいのをこらえて、八雲はそれだけ言う。
晴香は安心したように微笑んで、そして両目を閉じた。
張り詰めた神経が弛緩したのだろう。八雲はそのまま晴香を休ませてあげることにした。

後日、回復した晴香を連れて八雲は川岸の幽霊に会ってきた。
彼女に、見つけた懐中時計を見せ、それから友達の所在を聞く。
――ありがとうございました。
そう言って女性の姿は消えた。
「よかったね。」
晴香がうれしそうに八雲をつかむ手に力を込めて言う。
「そうだな。」
そう言って、八雲は握り返す。
もっとも、八雲にとって大事なのは、晴香が笑顔だという事実、それ一点だけなのだが。
そして二人は仲好く川に背を向けた。
目指すは、女性の友達の場所。
この時計を待つ人のもとへ――。



ちなみに、どうでもいい余談だが、石井が気づいた時、そこには後藤も八雲も、車もなかった。
あたりはまだ夜中と言うことをを伝えるほど暗い闇に覆われていた。
いまにも何か出てきそうなほど静寂に包まれ、実際石井は風で揺れる草の音一つでも震えるくらいだった。
そっと自分の置かれた状況を確認し、忘れ去られたという現実にぶつかり、軽くショックを覚える。
確かに、晴香が見つかった以上、二人の関心はそちらへ向いているのだろうが…。
石井はただ、帰り道を歩くだけだった。
運よくタクシーを捕まえられることを願いながら。
そして次の日は、一番に病院へ駆け込み、晴香にあいさつしたとか。
だが、後藤と八雲はそんな石井に構うことなく、後藤が八雲をからかうということを続けていた。
そして一通りからかうと、石像化した石井の首根っこを掴んでそそくさと退散する。
後藤なりに気を利かせているらしく、不器用なウィンクを残して……。
「遭難」のお題です。初めから、晴香一人が遭難することが決まっていました。
山で遭難するかと思ったのですが、なんか晴香ちゃん、山は自分の庭っていいそうなので却下。
それなら海かとも思ったのですが、なぜか川になりました(笑
並行して、美雪さんが晴香ちゃんを攫って八雲君の目の前で痛めつける…っていう案もありました。
こっちの案は、授業で、歯の痛みが一番痛いという話があったことから、ですが。

どうでもいい話、八雲君に、「あいつは、僕の彼女です」と言わせたかった(笑

戻りませう