午後のひと時

友達以上恋人未満。
そんな距離を晴香は持てあましていた。
一歩道を踏み外したら、取り返しのつかない結果を招きそうで、怖くてその一歩が進めないでいるのだ。
そんな乙女心に気づいているのかいないのか、時々妙に優しくしてくれるのが恨めしい。
そんなに思わせぶりな態度をとるから、いつまでたってもこんな中途半端な感情でいるのだと一度でもいいから言いたい。
悶々する思いを抱えて、晴香は目の前の人物を睨み続けた。
陽光を背に机に突っ伏して寝ている人物がそこにいた。
本当に猫みたいだ。
すっかり安らいだ寝顔を晴香に晒している。
まるでそれが晴香だから晒しているようで、そんな都合のいい解釈を振り払おうと晴香は首をブンブン振った。
この場合、どうするのが妥当だろうか。晴香は考えを巡らせる。
一緒に寝るか、そっと部屋を出ていくべきか、静かに作業をするか。
窓から、季節外れの涼しい風が入って、晴香と八雲の髪を軽く撫でる。
そろそろ、一年のうちで一番と言っていいくらい嫌な季節である梅雨だというのに、そんなことを微塵も感じさせない天気。
異常気象とか騒がれてもう数年がたつが、これもその影響だろうか。
じめじめした梅雨のようだった晴香の気持は、この涼しい風に吹かれてどこかへ行っていた。
今は、とにかく、この寝顔を堪能しよう。そんな気分だった。

ふと、肩に何かかかる気配がして晴香は顔をあげた。
いつの間にか眠ってしまったようだ。
寝ぼけ眼を擦りながら、晴香は周囲に視線を巡らせる。
正面で眠っていたはずの八雲の姿はなかった。
その代わり、その奥に、黒い口を開けた窓が見える。
もう、夜になったのか、それだけが半覚醒の脳でかろうじて理解できる。
少し隙間の空いていた窓は完全に閉まっていた。
「ふわぁっ?」
我ながらに、どんな声を出しているのだろうと聞きたくなるほど、間抜けな声が漏れた。
「起きたのか。」
唐突に晴香の背後から声がした。
反射で振り返ると、そこには晴香の大好きな左目を光らせた八雲がいた。
闇の中で赤く輝くその光は何処までも吸い込まれてしまいそうだ。
そこにスイッチの押される音がして、一瞬のちには点滅とともに部屋の明かりがついた。
寝ている晴香に気を使って、明かりをつけずにいたのかもしれない。
よく見てみると、晴香の肩には八雲のシャツがかかっていた。
薄手の晴香が冷えないよう気を遣ってくれていたのかもしれない。
「う、うん。いつのまにか寝ちゃったんだね、私。」
体を起こして晴香はそう言った。
「もうこんな時間だし、これ以上お邪魔しちゃ悪いよね。」
そそくさと荷物をまとめて部屋を出ようとする。
もともと荷物と言うほどものを出してはいないので、すぐにぶつかるのが、肩にかかった八雲のシャツをどうするかだった。
この場で返すか、洗って返すと言って預かるか。
もっとも、預かった時は洗う前に思いっきり抱きしめて、八雲と言う人を肌で感じるのが先だろうと言うのは容易に想像できた。
「これからご飯作る気なのか。」
馬鹿にしたような、純粋に驚いているような声で八雲が言った。
家に帰ってからご飯を作るには、確かに遅すぎる時間ではある。
しかし、そうなったのも寝てしまった自分のせいなのだから、仕方ない。
「仕方ないじゃない。ご飯を食べなきゃおなかすいちゃうよ。」
だから晴香はそう返した。
遅いから、コンビニでお弁当を買ったり、どこかで食べてから帰ったりしてもいいと考えながら。
「なら行くか。」
何を納得したのか、そう言って八雲は冷蔵庫から鍵を取り出す。
「八雲君もどこか行くの?」
ドアを開けて晴香を待つ八雲に、そう声をかける。
不機嫌そうな八雲の目つきが、早く出ろと訴えているようで、晴香はあわてて部屋を出る。
結局八雲のシャツは机の上に置きっぱなしになった。
八雲は部屋の電気を消し、ドアに鍵をかけ先を歩きだす。
「僕も晩御飯を調達しなきゃならないんだ。せっかくだから送っていくよ。どこでこけてもいいようにな。」
笑いながら八雲が言った。
「失礼な!私はそこまでドジじゃありません!」
言いながら、はたと晴香は立ち止った。
「どうした?」
そんな晴香に怪訝な表情を浮かべて八雲が尋ねる。
「ねぇ、それなら私の家でご飯食べて行かない?日ごろのお礼兼ねてさ。」
「いや、命が惜しいから遠慮しておくよ。」
我ながらにいい考えだと思っていたのに、八雲にあっさりと切られる。
しかもさりげなくひどいものいいだ…。
「それは一口食べてから言いなさいっ!」
珍しく、言い返した気分になって晴香は一人満足した。
はーっと八雲は深く、深くため息をつき、やれやれというかのように首を振った。
それでも八雲は何も言わないので、勝手に晴香はそれを了承の意として受け取った。

不思議だと晴香は思う。
八雲が晴香の家に上がったのもこれが初めてではないのに、なんだかとても新鮮だ。
結局ぶつぶつ文句は言ったものの、八雲は晴香の作る食事をいただくことになった。
なので、晴香はいつも以上に気合を入れて作ったのは言うまでもない。
おいしそうな香が晴香の鼻腔をくすぐる。
大丈夫。絶対うまく行った。
そう心の中で自分に言い聞かせ、八雲の前に差し出す。
自分の分もテーブルに並べ、キッチンの明かりを消して戻る。
エプロンは適当な椅子の上に置き、晴香自身は八雲の前に座る。
「「いただきまーす」」
二人の声が重なる。
晴香は上機嫌に大きな声で手を合わせて、八雲はボソリと小声で言う。
若干八雲の頭が前に傾いたように見えたのは気のせいだということで片づける。
一礼するのも、八雲らしくないような、八雲らしいような、そう思うと微笑ましい。
「なんだ?」
晴香の視線に気づいたのだろう。睨み上げるような目つきの八雲と視線が合う。
「別に。こうやって家で誰かと食卓を囲むのって初めてだな〜って思っただけだよ。」
飲み会には何度か参加しているが、事実晴香は実家での食事を除けば基本的に一人で食事をしている。
特に招く相手もいなければ、招いてくれる人もいないので、無理もないことなのかもしれない。
もしかしたら、姉が生きていたら、一人暮らしではなく二人暮らしになっていたのかもしれない…。
そんなどうにもならない仮定をして、フルフルと晴香は首を振った。
取り返しのつかない仮定は、しても報われないことは経験済みだ。
八雲の方は、そんな晴香を奇妙なものを見るかのように見ていたが、関心を失ったのかまた食事を再開させていた。
うまいかまずいかぐらい言え!とは思うのだが、真剣に食べている様子を見る限りだと、おいしいのかもしれない。
八雲は何も言っていないのだが、ほめられた気がして晴香は上機嫌になった。

「ごちそうさまでした。」
結局八雲が言ったのはその一言だけだった。
「おいしかった」とも「薬はどこだ?」ともいわなかった。
「借り一つ」とも言わなかった。
思い返してみると、後藤相手には「貸し」いくつという話はするが、晴香に対してその話は一度もしたことがない。
結局いつも無償で助けられている。
貸し借りでいえば、おそらく晴香の借りは後藤よりもずっと多い。
晴香の記憶が許す限り、返したことはないのだから。
もしかしたら、それが“友達”の特権なのかもしれない。
初めて会った時のやり取りを思い返して、晴香はふと思う。
ただ、できればその一歩先の関係に発展してくれないだろうか…と願うのは欲張りだろうか。
晴香は深く、深くため息をひとつついた。
「どうした?おいしかったぞ?」
八雲が味に対して何も言わなかったことに対するものだと受け取ったのだろう、怪訝そうに八雲が言った。
「そうだったらそうって言ってよ!!」
聞きたかった言葉であるはずなのに、ありがとうとか、うれしいとか、他にいたい言葉があるはずなのに、口から出るのはそんな言葉。
「きかれなかったからな。」
それに対する八雲の返答は予想通りと言うのか、八雲らしいというのか。
「そういうのは聞かれなくてもいうものです!!」
「そうか。次があるとしたらその時は言ってもいいぞ。」
そう言って不敵な笑みを八雲は浮かべた。
「何よ、その高圧的な態度!!次もおいしいって言わせてやるんだから!!」
そして心の中で決意する。絶対に八雲においしいって言わせてやる!
「それなら焦がすなよ。君の運動神経を鑑みると、二回連続でそのような奇跡が起こるとは考えにくい。」
「き、奇跡って…!!実力です!」
伊達に一人暮らしをしているわけでもない!と言い返したいのだが、八雲に言ってもそれは暖簾に腕押し、言い返すだけ疲れてしまう。
「ほお。それなら次回、楽しみにしているよ。」
そう言って八雲は立ち上がった。
これからプレハブに戻るのだろう。
引き留めたい、そう思うけれど、結局声がのどに張り付いてしまったのか、口から漏れるのは吐息のみ。
「じゃ…また明日。どうせ頼まなくても暇人の君は来そうだからな。」
笑いながら手を振って、八雲はドアを出て行く。
「どこかの誰かさんと違って、私は忙しいんです!暇人じゃありません!」
そのドアが閉まる前に再びドアを開けて晴香は叫んだ。
八雲は左手を耳に突っ込んで、うるさいぞと言うことをアピール。
近所迷惑だということに気付き、晴香はすごすごとドアを閉めた。

次回、八雲が来る時は二人の関係はどうなっているだろう、そう思いを馳せながら晴香一人の夜は更けていく――。
はじめは、友達以上恋人未満の夕食をかこう!と言うはずだったんですが…
八雲君が、晴香ちゃんを外食に誘うはずだったんですよ。
それをどう間違えたのか、晴香ちゃんが、八雲君を夕食に招いてしまいました。
このあたりから、売り言葉に買い言葉って感じかねーって思ったので、ネタが思いつかないこともあって(ヲィ)お題消化にさせてください。
これで裏のお題は一応全部消化になりますね。
また裏用にお題を探してみるべき?…その前に表のお題を消化しろって次元ですね。はい。

ちなみにどうでもいい余談だと、もともとこれは表に置く予定でした。と言うのが一つ。
もう一つは、5月28日に書き出したので、その時の東京の天気が基になっています。
本当に、最近の天気は変ですよねー。暑かったり寒かったり。寒いと言っても、四月上旬なんですけれどね。六月に入るころに四月上旬ですよ?!(黙

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