婚姻前後

「蒼紫様ぁ〜〜〜。」
ここ、葵屋の若旦那に向かって幼さの残る少女の声がかかった。
この若旦那は、名を四乃森蒼紫と言い、顔立ちは整い美男と呼ばれる部類にいるにもかかわらず、人を寄せ付けない雰囲気のためか話しかけようとする人はめったにいない。
そんな寡黙な様も彼の魅力を引き立てていると、陰でファンをやる女は実は数多いるのだが。
そんな彼女たちでも、話しかけることをためらわせる空気を纏っている彼に話しかけられる女性は、世界広しと言えどこの世に一人しかいない。
それも、こんな、“困ったから助けてー”というような、“愚痴聞いてくださーい”というような、甘えた声を出せるのも彼女しかいない。
もしかしたら彼女こそが最強なのかもしれない、それは葵屋全員の共通認識でもある。
「どうした?」
わかる人に分かるくらいの小さなため息をついてから、蒼紫は話しかけた主に顔を向ける。
そこにいたのは予想通りの人物――巻町操だった。
小さいころより蒼紫に育てられ、蒼紫を慕い、常にそのあとを追ってくる少女。
最近は葵屋の看板娘としてがんばる、二十まであとわずかという年齢よりも幼く見える少女。
何年経っても彼女が蒼紫に向ける視線は同じで、時々蒼紫にはそれが痛くも眩しく感じる。
「爺やがね、あたしもハタチになるから、そろそろ嫁がせないとまずいっていうの。」
操は、何か深刻なことを打ち明けるような神妙な面持ちでそう告げた。
両手で蒼紫の腕を抱え込むようにつかみ、上目遣いにじっと蒼紫を見つめる。
普段は天真爛漫、明るさが取り柄の彼女の両の瞳には涙が湛えられ、不覚にも蒼紫は心臓が大きく脈打つのを感じた。
主人にすがる子犬のようにも見えるその姿は、普段の少女の顔から女の顔として蒼紫の瞳には映っていたのだ。
おまけに操との位置が近い。結わえることをやめた操の髪が優しく蒼紫の手をくすぐった。
「酷いよねっ?酷いよねっ?あたしは蒼紫様のそばにいたいのに、なんで爺やはあたしを蒼紫様から遠ざけたいんだろう?」
そんな蒼紫の心情を知ってか知らずか、操はさらに身を乗り出して切々と訴える。
蒼紫の方は若干背をそらす形になったが、グイっと近づけられた操の顔から逃れることはできない。
操自身は何処にも嫁ぎに行く気はないことがこの言葉からもよくわかる。
しかし、操のことをよく知っている翁が今頃になって縁談を持ち出す真意はつかめない。
どんなに説得したところで操は応じようとしないだろう。それは誰にも分かっていることだ。
あるいは、これは遠回りに蒼紫に発破をかけているのだろうか?
「そのための花嫁修業だったらもうやんないもんっ。」
新たな雫をこぼしながら操は言う。
そういえば、最近操が蒼紫の周りをうろつかなくなった理由に花嫁修業をしているということがあった。
蒼紫はそんなことを回想した。
お増やお近の手ほどきを受け、どこへ出しても恥ずかしくない嫁にするのだとか。
それに、たとえ操がどこへも行かなかったとしても、女として、将来必要なスキルではある。
もっとも、蒼紫としては操がどこかへ出ていくためにやるというのは面白くないのだが。
「それで、見合いの話は、もうお前のところに来たのか?」
蒼紫は空いている手を操の肩に乗せ、目線を操にあわせて問うた。
その眼がいつにも増して真剣味を帯びていたことに、蒼紫自身は気づいていない。
蒼紫の鋭いまでの眼光を受け、操はフルフルと首を振った。
それにあわせてバラバラと散る髪は蒼紫の両の腕をくすぐる。
「そうか。」
ポンポンと蒼紫は操の肩を叩いて立ち上がった。
スッと伸びた背筋はそのまま廊下に消えていく。
「あ、蒼紫様、どこへ行くんですか!」
その後ろ姿に、操の声がかかる。
「翁のところだ。」
それだけ蒼紫は言うと、音も立てずに操の視界から完全に消えた。
操はそこに残され、主のいない部屋で置物のようにじっと座って待っていた。

何の断りもなく、蒼紫は翁の部屋に入った。
蒼紫が来ることを覚悟していたのであろう翁は、特に驚いた様子も見せずに蒼紫に正面の席に座るよう招く。
そして蒼紫が座るとともに、こう口を開いた。
「お前も、もう三十路なんだからきれいな嫁さんもらって、そろそろ落ち着いたらどうだ。」
年をとると、人は無駄に世話焼きになるというが、この翁とて例外ではないようだ。
操ばかりか、蒼紫自身にまで世話を焼くとは。
蒼紫の顔が不機嫌で険しくなっていることに気づいているのか、翁は愉快そうに笑ってから言葉をつづける。
「ま、お前の心配はしていないんじゃが。」
バッサリと切ったものである。先ほどまでの心配が嘘のようにも感じられる。
と、そこで翁は笑みを消して真剣な顔になる。
毎度のことながら、普段朗らかだったり明るかったりする人が神妙な面持ちになるときは話の内容がとても重要だというサインである。
蒼紫は無意識にも姿勢をただした。
「問題は操のことじゃ。お前も知っているだろ、操がお前一筋だってことは。」
重々しく翁が紡ぎ出すのはそんな言葉。
そんな、と軽々しく扱えるようなものではないのだが、反射的に姿勢を正した自分に蒼紫は内心で苦笑した。
翁の問いには首肯で答える。
「わしは心配なんじゃよ。小さい頃は仲の良い兄妹みたいで微笑ましくてよかったんじゃが。
 今はあのころと違う。関係も変化している。それでも一途にお前だけを見ている操が幸せになるにはどうするべきなのか。
 一番手っ取り早いのはお前があの子をもらってくれることだが、そうでなくても、お前が嫁を貰わない限りあの子は一生あのままじゃろう。」
そう言いながらも翁は何か意味ありげな視線を蒼紫によこす。
翁の言いたいことは、ずばり、蒼紫に操との婚姻を決意しろということだ。
「言われなくても、それは承知している。」
半ば翁にはめられた気がしなくもないが、蒼紫はそう言って翁の部屋を後にした。
時間はあまり残されてはいないのかもしれない、操に打ち明けられた時から感じた思いを、蒼紫は改めて感じた。
近日中に結論を出すか……。そう思いながら蒼紫は部屋に戻る。
そこに待っていたのは、幸せそうに眠る操の姿だったのは言うまでもない。


それからさらにしばらく経ったある日の神谷道場にて。
「それにしても、いまだによくわからんなー。蒼紫ぐらいだったら別嬪さんも選り取り見取りだと思うんだが。なんでまた、よりによってこのイタチ娘なんだ?」
そういうのは左之助だ。ちなみにここにはほかに、弥彦・燕・剣心・薫と京都から来た操と蒼紫の六人がいる。
この物言いが、あまりにも左之助らしくて剣心は苦笑していた。
それでも言い足りないのか、左之助は「蒼紫も趣味が悪いなー」と言い出す始末。
弥彦の方もかつて根暗でどこがいいのか分からないと蒼紫を評したことを棚に上げて、左之助に同意の意を示している。
「なにおーっ!」
左之助の、蒼紫の趣味が悪いという評価を聞いた操が目を吊り上げいまにも襲いかかろうとする。
が、それは一つ年上の薫が後ろから抱え込むことによって阻止されていた。
両手から飛び出た苦無だけは、不気味な輝きを呈する。
「あたしを悪く言うのはまだいいとして、蒼紫様を悪く言うのは許さないわよ!」
薫に捕まえられているにもかかわらず、ジタバタさせながら操は吠える。
先日式を挙げた操は、婚姻前と変わらず快活な少女のままであった。
「少しは落ち着かねーと、蒼紫に愛想尽かされるぞ。」
愉快そうに、左之助はそうからかう。
だが、誰も、お淑やかな操をイメージできないのは言うまでもない。
キーと声を上げる操はより一層暴れて、薫の手に負えなくなってきている。
燕は、ただオロオロとそんなやり取りを見守るのみ。
剣心と蒼紫は少し離れたところから、やはり傍観に呈するだけだった。
「いいんでござるか?」
涼しい顔で気にした様子を見せない蒼紫に剣心が聞いた。
ちなみに、薫が操を止めにかかっているので、剣路は剣心が抱きかかえている。
相変わらず剣心には懐いていないようで、時折剣心の前髪を引っ張っていた。
「ああ。」
蒼紫は短くそう答えた。涼しい顔も相変わらずだ。
「操を知っているのは、俺一人で十分だ。」
不思議そうに見ていた剣心の目が、蒼紫のこの一言でさらに大きく見開かれた。
一時保存においていたものを加筆訂正。
個人的には、『蒼紫っ子』という言葉が気に入っていたのですが、これは消えてしまいました。残念。
どうも蒼紫様と操ちゃんの結婚式の様子が思いつかなかったので(と言うか、その前後の周りの反応しか妄想しなかった)、前後だけです。
個人的には、上野の花見の前に結婚してほしいなーって思っていますが、せめて操ちゃんが21になる前までには結婚してほしいと思っています。
後は一番最後のシーンは結構気に入っていたから、ほとんどそのまま持ってきました(笑
さりげなく蒼紫様の独占(爆弾)発言です。^−^

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