合わせ鏡はいつも二枚一緒。
しかし、同じように世界を映すことはできない。
どうしても同じように世界を見ることができない人に、私は恋をした――。

合わせ鏡の恋

晴香は八雲の真向かいの席に座っていた。
ここは映画研究同好会の部室。
部員という部員は彼女の目の前にいる八雲一人のみ。
ここは部室でありながら、八雲の家といっても過言ではない場所。
おもな訪問者は晴香自身を含めて後藤と石井くらい。
この日は後藤や石井は来ていず、とくに解決しなくてはならない事件もなかった。
部屋の主である八雲は、晴香が来ていることにもお構いなしに、昼寝を満喫している。
寝袋にくるまっていないあたり、本格的に寝るつもりはなかったのだろう。
晴香はそんな八雲の寝顔を、頬杖をつきながら眺めていた。
寝癖のついた黒い髪の毛は、いつの間にか評価を下げる要素ではなくなっていた。
まぶたの下に隠されたルビーのような左目は、いつ見ても晴香の胸の鼓動を早くさせる。
八雲本人はまだ、完全に受け入れてはいないように見受けられるが、晴香はこの目が好きだった。
いつまでもこの状態で、気持ちよさそうに眠る八雲を見ていたい。
そう願う一方で、早く起きてあの奇麗な左目を見たい、と願う自分がいた。
この左目こそが、八雲を八雲たらしめるものであり、同じように世界を映すことが許されないしるしではあるのだが。
「どんな顔で見ているんだ、気持ち悪い。」
晴香の気配に気づいたのか、八雲が顔をしかめて言う。
その様子に晴香はさびしさと喜びと小さな怒りを覚えた。
八雲の口の悪さは今に始まったことではない。
頭では分かっているので声には出さない。
目を開けた八雲の左目は、透き通るような赤色を呈していて、晴香の心臓を鷲掴みする。
だが、それも一瞬のこと。
八雲の顔が突然険しくなった。
「誰、だ。」
晴香に向かって問うているように見えて、その奥にいる“何か”に聞いているのだろう。
そう、八雲の左目には人あらざる存在を映す力があった。
「八雲君、誰かいるの?」
普通にこの部屋を見渡せば、ここには晴香と八雲の二人しかいないというべきものだろう。
しかし、霊とはいえもとは一人の人間だったのだ。
“誰”と尋ねるべきだろう。
「いや、出かけるぞ。」
そう言って八雲は腰を上げる。
八雲は晴香がついてくることを当然のように扱ったが、晴香自身ついていかない理由はない。
向かい合う形はひとまずこれでおしまい。
許されるなら、並んで歩きたい。
今や背中しか見えないその姿を見ながら、晴香は心の中でひっそりそう思う。

「まったく君は、どうしてトラブルばっかり持ち込むんだ。」
晴香に聞こえるように八雲はつぶやくが、今回ばかりは晴香にもわからない。
八雲は何も状況を説明せず、ただ砂場で砂をかき分けるだけ。
大人が遊ぶには少し狭い気もするが、探し物をするには十分すぎるくらい広い砂場。
そんな砂場で八雲は一体何を探しているのか。
探し物がわかれば晴香も一緒に探せたものを。
八雲は愚痴しか言わないので、晴香はただそんな八雲を見つめるだけだった。
やがて、八雲は砂の中から小さな塊を見つけたようだ。
近くにある水道で砂を洗い落とすと、くすんだ銀色をしたわっかが現れた。
本物の指輪よりは随分安ものに見える。
まるで子供のおもちゃのような――
「なぜか知らないが、君にしがみついて離れようとしない少女の霊がいるんだ。」
八雲の指を見つめる晴香に向って、八雲はそう口を開いた。
晴香には見えないが、おそらくまだ晴香の腕なり足なり裾なりどこかにしがみついているのだろう。
「彼女が言うにはこれを見つけてほしいということだ。」
そしてできるなら、くれた子に返してほしいのだと、と八雲は言葉を結ぶ。
おそらくその指輪には見かけ以上にいろんな思いがあったのだろう。
そして八雲が晴香に探し物を伝えられないほどに。
今回ばかりは、君が聞かなかったからと八雲はきっと言えない。

正しくは霊に案内されて、というべきなのだろう。
晴香は八雲に案内されて一軒の家へ辿り着いた。
八雲は特に緊張する様子も見せず、インターホンを鳴らす。
「はい。」
若干猜疑心が入った声がした。
もし、インターホンにカメラが付いているタイプなら奇妙な二人組として家の主に映っていたことだろう。
八雲は平然とした顔で、一人の人物の名を告げ、渡したいものがあるという。
やがて出てきた男は晴香たちと同い年くらいの人物だった。
「小沢…さん…?」
戸を開けるなり、男はそう尋ねた。
「……。はい、そうですけど……?」
「あなたの彼女だった方からこれを渡すよう頼まれました。」
戸惑う晴香と、あくまで用件を片付けようとする八雲。
「あ…あ…っ。」
晴香は目の前で、八雲から渡された指輪を震えるように受け取る男に見覚えはない。
「小沢さん…。ごめんな。」
男は唐突に、晴香にそう謝った。
ここまでの流れだったら、晴香は人違いじゃないのですかって男の話を遮るところだっただろう。
しかし、男は、晴香の高校時代の友人の――死を告げた。
ぽつぽつと語る男の口からわかったことは、彼がその友人のカレシだったことだ。
つまり、晴香にくっついていた霊というのは晴香の友人の霊だったのだろう。
彼女は童顔だったから八雲は少女と表現したのかもしれない。
「あいつが不安になっていた時、俺は分かってやらなかった。それどころか、あいつを試してばっかりいた。」
俺も俺でむしゃくしゃしていたっていうのは今ではもういいわけだよな、そう男はさびしそうに言う。
そんなに俺が信じられないなら、これを見つけ出せたら今すぐにでも結婚してやる。そう言って砂に指輪を隠したそうだ。
もともとは男の姉のおもちゃの指輪だったそうだが、彼女の喜ぶ顔が見たいと男が幼心に初めて姉から奪ってきた代物だったそうだ。
そのあとは自分のバイトの稼ぎでやりくりしていたから、奪ったものはこれが最初で最後だったというのは余談である。
彼女のほうは何日も、何日も、一心不乱で指輪を探していたらしい。
安らぎを求めて切羽詰まった彼女の心は、周りに注意を払う余裕はなかった。
男は毎日毎日そんな彼女の様子を陰ながら見ていて――不幸にも彼女の事故現場を目撃してしまった。
危ないと腕は伸びたものの、足がすくみ全然届かなかったのだとか。
その後、しばらく男はふさぎ、後悔し、悔やみ続ける日々を送っていたという。
「あの頃、少しでもあいつの事を思ってあげたら、今でもときどきそう思うんだ。本当は向きあわなきゃならなかったのに。
きっと、向き合っていたら今の後悔はなかった。誰かのせいにして向き合わないことって楽だけど、それじゃ駄目だとその時知ったさ。皮肉だよな。」
男は自嘲気味にそう笑う。
晴香はそんな男に賭けるべき言葉が見当たらない。
「彼女は、あなたのせいではないと言っていますよ。」
そんな二人の間に口をはさむのは八雲だった。
そう、この場には八雲がいて……見えないけれど彼女もいる。
「そんな、だが、あれは俺のせいでも……!」
「だからあなたは、ここで懺悔するのではなく、彼女のお墓に謝るべきではないのですか。いくぞ。」
必死に否定する男に八雲はそういう。
最後の一言は晴香に向かっていったのだろう。
もうすでに八雲は背を向け、歩きだしていた。
「あの、私も、彼女はいつまでも恨む子ではないと思います。お話、ありがとうございました。」
そう一息にまくし立てて、晴香はあわてて八雲の後を追う。

――合わせ鏡は同じものを映さない。
   しかし、闇も光も、お互いを常に向き合って見つめている――
本当は第一段落の部分で締めくくるつもりでした。
それだとあまりにも短すぎるかなとか何とかで一応続きを入れるために第一段落の締めくくり方は変えたのですが…
第二段落以降はおまけでしかないので本編とはとらないように!(笑

戻りませう