pick up -Side S-

彼と暮らし始めてから、いつの間にかかなりの歳月が流れていた。
かなり、とはいえそれは体感的なものだ。
実際は一年前後。それを長いと取るか短いと取るかは人それぞれの主観次第だ。
少なくとも、シャウトにとっては長い月日であり、彼にとってはそれ以上だろう。
彼は常にシャウトに対して優しかった。
だからこそ、時々さびしげな表情を浮かべる彼を見るのはつらい。
そんなシャウトに気付くと、彼は決まってシャウトの頭をかきまわした。
一緒に暮らしてはいるが、二人の仲はそれ以上伸展することはなかった。
彼のほうが、シャウトに対しての感情を抑えているきらいがあったからだ。
ガングなんかがそのことを聞いたら、一緒に暮らしとるのにキスの一つもないんか!というだろう。
だが、ないものはないのだ。
手をつなぐことは時々ある。
彼は嫌がるが、人ごみの激しいところとかだと、はぐれないためだと言い訳を言ってつないでくれる。
家にいるときは、寂しげな笑みを浮かべるとすぐにぎゅっと抱きしめてもくれる。
大切にしているんだということが分かるからこそ、ごめんなさいと彼に謝りたくなる。
そんなこと、彼が望んでいないことは分かっているから決して口には出さない。
もし、彼を思い出すことができたら……。
思い出すことができたら、告げようと思う。
ごめんなさいと、ありがとうを。
記憶を失うにはそれ相応の原因がある。
彼はこの一年、ずっとその手掛かりを探してもいたのだから。
シャウト自身は彼のこと以外では、そのことも忘れていたようでまったく力になれなかった。
情報屋であるナイトリーからはいくつかの可能性を提示されていたらしいが、シャウトの耳には一つも入ってきていない。
おそらく、どれもシャウトを深く、再び傷つける恐れのある可能性なのだろう。
シャウトの耳に入る前に、確証をつかむまでは伝えたくない。
その優しさからの行動だとシャウトは考えている。
でも。記憶を失ったのはシャウトだ。
人の力を借りるにしても、頼るだけではいけない。
自分の力で拾っていかなければならないのだ。
どんなにつらい過去が待っていようと、拾える記憶があるなら立ち向かわなくてはならない。
そうでなければ、一生彼の記憶を失ったままでいるしかないのだ。
彼の記憶を失ったのは偶然なのか必然なのか。
ときどきそう自問している。
そしてシャウトは、それが必然だと考えていた。
シャウトが彼を忘れれば、都合のいい人物がいた。
もしくは、シャウトが彼を忘れたほうが、彼のためになるとシャウトは考えていた。
しかし、シャウトの記憶は彼を忘れても、体は彼を覚えていた。
ほかの誰でもない、彼の腕の暖かさ。彼のにおい。鼓膜に響く声。
それらどれもが新しく感じる半面、安堵をおぼえさせる。
さらに、覚えていたのはシャウトの体だけではない。
彼もシャウトのことを覚えていた。
記憶喪失になっていないのだから、当然と言えば当然のことではある。
それでもこの一年、シャウトのそばに居続けられたのはすごいと思う。
彼のことだけ忘れて、中途半端に共有できない過去を持っているにもかかわらず、シャウトに変わらない愛情を注げるのは。
いっそ、別れたほうが彼のためだと思ったこともある。
だが、もう願ってしまった。
彼の過去を覚えていなくとも、彼のそばにいたいと。

忘れた記憶はどうあがいても埋めることはできないでいるが、新しく築かれる記憶もたくさんあった。
シャウトの誕生日にはケーキを買って帰ってきたこともある。
一緒に暮らし始めて間もない時は指輪を贈ってくれた。
結婚指輪の代わりだと彼は笑って言った。
だからシャウトも、彼の指輪を見つくろいに街へ出かけた。
お店の人には彼氏へのプレゼントだと言って。
指にはめた彼の姿を想像して、とても楽しく選んでいたのを覚えている。
だが、お揃いになるには、まだまだ先の話かもしれない。
もしかしたら近いうちの未来かもしれない。
これは彼のほうの気持ちの整理が一番大きいのではないかとシャウトは考えている。
忙しくなってからほとんど考えなくなっていたが、一年という区切りにふと気付いたので考えることにしたのだ。
ふと、左の薬指に触れる。
そこには、その時彼からもらった指輪がはめられていた。
ほかにも新しい思い出はたくさんある。
ガング達の話によると、子守は嫌がっていた彼は、何かとジェッターズの面々での行事に顔を出すようになった。
頭に元がつくとはいえ、シャウトもジェッターズであったため、この行事には毎回のようにシャウトも誘われていたからだ。
博士やシロボンが行事好きの側面もあるため、ほぼ毎月のように何かイベントがあった。
クリスマス会のプレゼントを二人で探しに行き、途中で彼が別行動をとったこともある。
そのときシャウトは不安に駆られたが、すぐに彼は戻ってきた。
この時は結局なぜ別行動を取ったのか、彼ははぐらかしたが、クリスマスの朝プレゼントを手渡されたときになぞは氷解した。
「何贈ればいいかわからなかったから。」
彼はそうそっぽを向いていった。きっと照れ臭かったのだろう。
シャウトは包装紙をはぎ取るのももどかしいくらい、早く中が見たくてたまらなかった。
普段あまり着飾るようなシャウトではないが、そのシンプルでかわいらしいネックレスはすぐに気に入った。
彼が贈ってくれたからというのも大きな理由かもしれない。
嬉しさから、そっぽを向く彼を思いっきり抱きしめて、彼をさらに動揺させもした。
シャウトはその時、彼に対して何も用意していなかったのを、少し反省していたのも今となっては大事な思い出だ。
だが、今考えたいのは楽しかった思い出ではない。
記憶を失う前に、何があったのか、だ。
物理的なものなのか、精神的なものか、それらすべてを含めて。

彼はすごくもてる。
それが一番最初に認識した、彼に対する印象だった。
シャウトの贈った指輪も、何度かなくされそうになったらしい。
もちろん彼の目の黒いうちは、指輪に触れることはだれ一人として許されていない。
例外はシャウトくらいだろう。
しかし、女が何人かで彼にかかってきたとして、彼が彼女らを力ずくでねじ伏せるとは考えられない。
結局彼女たちの武器は女であることなのだ。
そしてこの時のシャウトには知る由もなかったのだが、彼はルーイの一件で加害者の構図におかれることを恐れていた。
女を武器にした彼女たちは、彼にやめろと言われたら、か弱い女でいることを演じるだろう。
彼女たちはきっと、シャウトとは比べられないほど肉付きもいいだろうから、そうなれば周りの男たちが彼を非難するかもしれない。
そう。女のいじめというのは陰湿なものだというのが相場だ。
だが、これに関しては、彼のほうが手を打っていて、シャウトに実害はほとんどない。
でもそのことがシャウトを苦しめた。
ただ彼のことが好きなのに。彼の一番になるだけで、彼に余計な労力を払わせなければならないことに。
それでも彼を取り巻こうとする彼女たちを陰からそっと見るしかできないことに。
こんなに苦しいなら、彼を知らなければよかった。
そう願うことも一度ではない。
一度ではなかったと思って、ふとシャウトは考えを中断させた。
今はこんなに彼を求めているのに、真逆のことを考えていたことがあったなんて。
もしかしたら、彼を忘れた原因の一つはこのことだったのかもしれない。
忘れてしまえば、苦しまなくて済むと思ったのだろう。
忘れてしまったからこそわかったのは、余計苦しいということだけだ。
「バーディ……。」
シャウトはつぶやいた。
そうすれば、つながりかけた糸を手放さなくて済むかのように。
彼の負った傷と同じものを、自分の心につけるかのように。
記憶を失ったことで知覚されなくなった心の傷は、細い糸ともに呼び寄せられたにもかかわらず。
シャウトは、それが彼の負った傷でもあると感じた。
そう感じることで、痛みは苦痛ではなくなる。
ただ、涙だけがとめどなく流れてくるだけだった。
彼の分も泣けたら、帳消しになれたらいいなとふと思った。

結局シャウトは泣き疲れて眠ってしまったのだろう。
シャウトの体に、彼の上着が掛けられていた。
「アレ……?」
シャウトは体を起して、そう声を漏らす。
「起きたか。」
彼はそう言って、ほほ笑む。
もうすでに日は沈んでいて、彼は寝ているシャウトを起こさないように夕食の準備をしていたらしい。
初めのうちは見よう見まねの腕前だった彼の料理も、一年もたてば大分上達していた。
「あ、ご飯……。準備してくれたの。」
「当たり前だろ。」
彼の上着をたたみながら彼に近づくシャウトに、彼はそう言う。
「でも、帰り早いね。」
彼は夕食時に帰れることのほうが少なかった。
さすがにシャウトのためを思っているらしく、なるべく早く帰ろうと努力しているのはよくわかった。
「なんか胸騒ぎがしてな。ま、実際泣いていたみたいじゃないか。」
彼はシャウトの目の横の、涙の乾いた痕を見ながら言った。
「バーディ……。」
シャウトは彼の名を呼ぶ。
今までとは違った雰囲気に、彼は動作を止めた。
「本当に、あたしでいいの。あたしが好きなの。」
シャウトがそう尋ねる。
疑問詞はないが、確かに疑問形ではあった。
そのそばから両の瞳から大粒の涙がこぼれおちる。
「ねぇ、本当にあたしなの。あたしのこと愛しているの。」
口火を切ってしまうと、言葉は止まらなくなる。
不安や苦しさを思い出してしまったからかもしれない。
「なんで割れものを扱う見たいに接するの。大切にしてくれているのは分かるけれど、愛しているのかなんてわからない。」
「シャウト……。」
彼の声が鼓膜を震わせる。
大好きな声。少し困惑がにじんでいる。
「わかんないものはわかりたくない。言い訳も聞きたくない。」
認めたら何かがいけない気がして、シャウトは必死に首を振る。
「シャウト。これ以上言ったら、怒るぞ。」
おそらく記憶を失って初めて、彼は本当に怒りを見せた。
気付いた時には壁に押し付けられていた。
彼の腕に挟まれて、逃げ道がない。
いや、逃げようという意思がもうなくなっていた。足がすくんでしまったのだ。
彼の左手が伸びて、乱暴にシャウトの顎を掴む。
くちばしが触れたかと思ったら、キスされたのだと気付く。
触れるだけのキスではなく、たっぷりと時間をかけたものだった。
シャウトは驚きで目を大きく見開いた。
彼はシャウトから顔を離した後、ぎゅっと抱きしめた。
今までで一番強く、シャウトが折れてしまってもかまわないかのように。
「何があったか知らねえが、絶対お前を離さないからな。お前じゃなきゃだめなんだよ、俺も。」
抱きしめられているから彼の表情は見えない。
ただ、彼の弱さが垣間見えた気がした。
「もうこれ以上はやめろ。俺が止められなくなる。」
彼はそう言って、シャウトを開放した。
「ほら、早くしねえと飯が冷めるぞ。」
彼は何事もなかったかのようにそう言って、笑った。

夕食後、シャウトは彼と並んで座っていた。
特にテレビを見るでもなく黙ってお互い座っているだけだった。
「あのね、あたし、ずっと苦しかったんだ。」
どう話し始めたものか思い悩んだシャウトは、結局そう話し始めた。
記憶は戻っていないが、感情部分にまつわるものは思い出した。
そのことをポツリ、ポツリと彼に伝える。
彼は黙ってそのことを聞いていた。
聴き終わった後も、黙ったままだった。
彼にできることは、黙ってシャウトの感情を受け止めるだけだとでもいうかのように。
「俺は……怖かった……。」
少しの沈黙の後、彼がそう口を開いた。
その表情はとても苦しそうで、シャウトに告げることに相当な覚悟を要したのかもしれない。
「シャウトが大切だというのは分かっていた。だが、体だけを求めているようで怖かった。」
彼はそう言った。
彼の記憶を失ったシャウトを、シャウトと呼べるのかと聞かれたら答えはイエスだろう。
しかし、彼との思い出を失ったシャウトと同じように恋人として関係を持っていいのかと聞かれた時、彼には答えが出せなかったのだろう。
関係は微妙に変化して、シャウトをシャウトだから大切だと表すすべを、彼は失っていたのかもしれない。
その一方でわきあがる、本能的欲求がいつ、シャウトに牙をむくのかを恐れていた。
要は不器用だったのだろう。お互い。
「バーディ、あたし、たぶん、独占欲強いよ?」
「それはお互い様だろ。」
そう言って彼は笑った。
その笑い顔は、今までと違ってどこか記憶を刺激するものだった。
あの時も彼は笑っていた。
シャウトは記憶がよみがえってくるのを感じた。
つかみかけた糸は、重なる彼の微妙に異なる笑顔によって一本の糸になっていた。
その笑顔はシャウトに見せてきたものとどれも微妙に違っていた。
本当に心から嬉しそうだった。
シャウトに向けられたものだったらどんなに良かっただろう。
チクリと胸が痛んだ。
些細な積み重ねが、そのことによって大きなとげとなった。
見なければよかった。
相手が男だったらまだよかった。
残念なことに、その相手は女で、なんでバーディがうれしそうにしていたのかシャウトは知らなかった。
思い出すことがこんなに苦しいなんて。
シャウトは思わず胸に手を当ててかがみこむ。
急なシャウトの変化に、バーディは明らかに戸惑っていた。
「おい、シャウト、大丈夫か。」
バーディはシャウトの体を支えるかのように両腕を伸ばす。
「なんで…あの日…笑ったの…?」
やっとの思いで、シャウトはそう尋ねた。
あの日と言われてバーディはピンとこないようだが、すぐにシャウトの記憶を失う原因だろうと察したようだ。
そうなると、あの日は一日しかない。
「見ていたのか……。ちょっと待ってろ。」
苦虫をかみつぶしたような表情をした後、バーディはそう言って席を立った。
少し引き出しをがさごそかき回す音がした後、バーディは小さな箱を持って戻ってきた。
丸一年以上そのままにされていたらしいその箱は、包装やリボンが多少くたびれて見えた。
シャウトは渡された箱を開ける。中身は何となく見当がついていた。
「指輪にサイズがあるなんて知らなかったからな。お前の友達にアドバイスもらったんだ。」
シャウトの開ける動作を見守りながら、バーディはそう言う。
シャウト自身、指輪を買いに行ったことはなかったからサイズがあったことはその当時知らなかった。
そして逆光だったからか、バーディしかシャウトが見えていなかったからか、そこにいた女が自分の友人だということに気付かなかった。
勘違いが今までの悩みを呼び起こし、不幸な事故を招いたのだろう。
箱から出てきた指輪は一年たっても変わりのない輝きを放っていた。
シャウトの好みに合う、かわいらしく、かといって自己主張の激しくない指輪だった。
今までつけていたのよりはちょっと派手で、お店には向かない。
買い直した理由はここにあったのかもしれないし、サイズがぴったりだった理由もそこにあったのだろう。
「ありがとう、バーディ。」
そう言って、シャウトは反対の手に指輪をはめる。
左右に一つずつ。それぞれが異なった意味合いの絆を意味していた。
そして今度は、シャウトがバーディに腕を回し、そっと口づけた……。
結局記憶を失った原因は嫉妬心の積み重ねってことになりました。
引き金は別個に用意されていますが。
自分ルールではバーディとシャウトのキスは描かない!なのですが…もう知らね。(笑
こちらも一応バーディサイドを書く予定です!ハイ!頑張る!
そうそう、地の文が彼からバーディに変わったのは、バーディを思い出したからです。

戻りませう