drop out -Side B-

「シャウト……。」
祈るようにバーディはつぶやいた。
それが何度目なのかは誰も知らない。
そこにはバーディしかいないからだ。
そしてバーディは、そう呼びかければシャウトが目を覚ますかのように何度もつぶやく。
口の渇きも、タクシーの仕事も気にはならなかった。
ジェッターズバッジがならないのは、そんなバーディを配慮したからだろう。
こうしている今も、シロボン達はきっとどこかで宇宙に一つしかないものを守っているはずだ。
バーディ一人だけは、彼女がこの場に運ばれたときに時が止まってしまったかのようだった。
そう、ここは病室だった。
医師の話では、外傷はあると言っても直接生命にかかわるものではなく、また脳には特に異常は見られないとのことだった。
しかし、この病床で横たわっている女性―さすがにもう、少女と呼ぶ年齢は過ぎた―シャウトは一向に目を覚ます気配がない。
目を覚まさないというのはそれ自体で異常である。
とりあえずシャウトを入院させ、原因を究明することとなった。
その際、病室はどうするかという話になったが、これはバーディの独断で個室をお願いした。
憔悴しきった自分の顔をあまり他人に見られたくなかったからだ。
もうひとつ理由を加えるなら、シロボンやガングといった、見舞いに行っても迷惑をかけそうなメンバーが周りにいたからでもある。
ここで少し話を戻すと、バーディはシャウトの倒れた現場にはいなかった。
だが、一番近い場所にいた。
急ブレーキの音が聞こえること自体は珍しいことであっても気に留めることではない。
そのあと救急車の音が聞こえた時、何か不吉なものを感じて、あわてて現場に駆け付けたのだ。
救急車はすでに移動した後だったが、そこに落ちていた携帯のストラップに見覚えがあった。
ラーメンのストラップをつけている人物は、バーディの周りには一人しかいない。
まさかという思いを打ち消すため、その人物に電話をして見るが、留守番サービスが応答するのみ。
別人であることを祈りながら、バーディは自分のタクシーに戻り、救急車の音がする方向へ飛ばした。
病院で看護師なり医師なりを片っ端から捕まえて、救急車で運ばれた人物について尋ねた。
業務機密はあるが、知人か確認したいだけのバーディはシャウトの特徴を語り、それと一致するかどうかだけ確認する。
そして、運ばれたのがシャウトだったのだということを悟った。
そのあと紆余曲折を経て、バーディはシャウトの病室にたどり着いた。
口を結んだシャウトは、白い肌が一層青白く見えた。
その時バーディはおずおずと彼女に近寄り、恐る恐るその頬に指を触れるだけだった。
わずかなぬくもりが、生きていることを告げる。
そのことに安堵して、彼女の父親やジェッターズのほかの仲間に連絡しないといけないことに思い至る。
緩慢な動作で病院の外へ出、電話した。
そのあとのことはよく覚えていない。
ただ、シャウトの横に座って、時々彼女の名をつぶやくくらいだった。

警察の検証では、シャウトは交通事故に遭う直前に気を失った可能性が高いとのことだった。
シャウトの両の足にタイヤの跡がついていたことと、運転手・歩道を歩く人がぶつかる前に彼女が倒れるのを見たと証言した。
轢かれそうだと思っただけで気を失うほどシャウトが弱いとは思っていない。
少し違和感を覚えながらも、バーディはシャウトの看病に明け暮れた。
シャウトの目が覚めたのは、そんなある日だった。
「あれ…ここ…?」
天井を見上げながら、シャウトはそうつぶやいた。
真横にいたバーディはその声が耳朶を震わせた時、信じられない思いでいた。
「シャウト、気づいたのか?!」
顔を見ればわかるはずなのに、バーディはそう聞いた。
シャウトはまだうまく焦点の定まらない目でバーディへ顔を向けた。
「ちょっと待ってろ。みんなに連絡してくるから。」
そう言ってバーディは病室を後にした。
この時はうれしさがこみあげて、とにかく早く伝えることしか頭になかった。
もちろん最初に連絡したのは医師だ。
ほかのみんなにも伝えることを告げたら、少し検査するからそのあとで来るように言われた。
だからバーディは、ジェッターズのメンバーがそろってからシャウトに会いに戻った。
「シャウト!無事だったんだね!」
シロボンが身を乗り出してシャウトに言う。
「シャウトがいない間、僕がお店の仕事全部やったんだからね!」
会うなり自慢話になるのは仕方のないことかもしれない。
シロボンはまだ、自慢をしたい年頃なのだから。
「そう、ごめんね、シロボン。」
シャウトはそう言った。弱弱しい声だった。
「それにガング、ボンゴ……。」
ここで彼女は口を閉ざした。
そして、衝撃の言葉を口にする。
「……誰……?」
喜びの空気が一瞬にして凍りついた。
誰もが目を大きく見開いた。
それが聞き間違いであることを願った。
「シャウト、何言っているの?バーディを忘れたの?」
シロボンが聞く。
シャウトは本当に覚えていないらしく、困ったような笑みを浮かべただけだった。
否定の言葉すら言わない。
そのことがバーディにはショックだった。
なぜ、よりによって自分が。
「しゃ、シャウト!まさか、婚約者を忘れたというか?!」
ガングが驚きに大きな声を出すが、シャウトの返事は聞こえない。
めまいを覚えたバーディは、そっと病室を離れた。

医師に事情を話した後、バーディは家に帰ることを選択した。
さすがに客相手にどうこうする気力は起きない。
ここまで衝撃を受けたのは、マイティを喪って以来か。
そう一人で思い自嘲した。
医師は今頃、シャウトの記憶に関して確認しているだろう。
ガングとかのことを覚えているからには、部分喪失には間違いない。
その喪失の範囲を特定する必要が、医学の分野ではあるらしい。
バーディに言わせれば、部分的な記憶喪失ならそれでいいだろとも思うのだが。
それ以上に、バーディを忘れていたことがショックなのだが。
人間は、忘れたいことは忘れるように防衛本能として持っているらしい。
だから、記憶喪失に陥っても、大切な人だけは覚えているということもあるそうだ。
しかし、その逆で、大切にしているからこそ、記憶の領域を大きく占め、忘れてしまうこともあるそうだ。
シャウト本人がバーディのことを忘れている以上、どっちのパターンかは分からないが、後者であることを願うだけだ。
そんな違いに、慰められはしても根本的な意味はないのだが。
明日からどうしようか。
寂しげに笑いながら、バーディは考えた。
今までは当たり前のように、朝早くからシャウトの横にいた。
シャウトが気付くのを、一番に知りたがっていた。
それなのに、こんなにもシャウトに会うのを恐れるとは。
結論は出ない。シャウトに会いたいのもまた事実だったからだ。

結局バーディは気持ちの整理をするのに丸々一日を費やした。
今までどおり、毎日シャウトの看病に行こう。シャウトさえ嫌がらなければ。
そういう結論にたどり着いた。
もう日も沈み始めていたが、バーディはシャウトの病室へ行く。
途中、見なれた看護師にすれ違った。
「今日は、もう来ないのかと思いましたよ。」
彼女は挨拶をした後、そうバーディに言った。
バーディが朝からシャウトのそばにいたことを知っていたからそう言うのだろう。
「たぶん、シャウトさんも会いたがっていますよ。なぜか知らないけれど寂しいっておっしゃっていましたから。」
彼女はそう言ってバーディと別れた。
シャウトは、バーディのことを覚えていなくても、バーディを恋しいと感じていた。
そう教えられたのだとバーディは、去っていく看護師の姿を見送りながら気付いた。
そして自分が悩んでいたことが馬鹿らしくも感じた。
「気分はどうだ、シャウト。」
バーディは平静を装ってベッドに座る彼女に声をかけた。
内心拒絶されやしないかドキドキだった。
いくら看護師がバーディを恋しがっていたと言っていたとしても、シャウト自身はバーディを覚えていないのだから。
「えっ。あ、うん。大丈夫。」
驚きに見開かれたシャウトの目は、心なしかリラックスしたものに変わっていった。
「そうか。」
そこで言葉は途切れる。
バーディ自身は、医師から記憶を植えるようなことはしないようくぎを刺されていたこともあるのだが。
ふと布団からはみ出たシャウトの足に視線を向けると、タイヤの跡は全くなかった。
外傷はシャウトの目が覚める前には奇麗に治っていたのだ。
「明日から、リハビリを始めるらしいです。」
シャウトはそう言った。
沈黙が苦痛に感じたのだろう。
「そうか。」
やはりバーディはそれしか返せなかった。
シャウトが気を失っていた間、バーディは何度かシャウトの足を曲げ伸ばししたことがある。
そうすることで筋力の低下をある程度防げるのだと言われたが、果たしてどれほど効果があるのかは分からない。
そもそも筋力がそんな短期間で低下するものなのかもわからないでいた。
低下するにしろ、しないにしろ、バーディのその努力があす以降のリハビリの助けになれればいいのだが。
「何か、助けが必要だったら何でも言えよ。」
バーディはシャウトにそれだけ言う。
「ほしいものとか、読みたいものとかそういうのがあったらな。」
キョトンとするシャウトにそう補足する。
「わかった。」
シャウトはそう頷いた。
「じゃ、明日もまた来るからな。」
バーディはそう言って、彼女と別れた。

翌日は宣言どおり、バーディはシャウトの見舞いに行った。
また、タクシーの仕事も再開させた。
初めのころ、シャウトはめったにバーディに頼みごとをしなかった。
遠慮なんてしなくていいと告げた後は、時々頼むようになった。
主には外の状況を話してほしいということで、そう困るようなことは頼まなかった。
だが、時々バーディを試したくなるのか、奇妙なお願いをすることもあった。
手をつないでほしいと言われた時はさすがに面くらったが、言われたとおりにした。
シャウトはその手を、いとおしそうに自分の頬に擦り寄せていたのだが。
それとは別に、シャウトは時々パニックを起こすことが見受けられるようになった。
一回目はたまたまバーディが見舞いに行く時だった。
医師を呼ぶべきかおろおろする看護師にはめもくれず、バーディはシャウトを力いっぱい抱きしめた。
シャウトはもがきだそうと体を動かすが、バーディはそれを許さなかった。
ぎゅっと抱きしめ、頭を動かさないようにする。
「シャウト、大丈夫だ。」
意図的に低めの声で、バーディはシャウトの耳元でそっとささやく。
母親の心音が赤ん坊に安心感を与えると言うが、はたしてそれと同じことなのか。
シャウトは徐々に落ち着きを取り戻し、目も焦点が合うようになったようだ。
ぐるっと辺りを見回し、バーディと近距離で目が合う。
「大丈夫か?」
バーディが聞いた。
シャウトはその声に首を小さく縦に振る。
バーディはもう一度ぎゅっと力強く抱きしめた。
そのあとで看護師に話を聞いたら、これは初めてのことだという。
もしまたそう言うことがあったら呼んでほしいとバーディは看護師に頼んだ。
時々呼び出されることはあるが、バーディがシャウトの病室にいるときは不思議と、一度も見かけないことではあった。

いよいよ退院だというとき、シャウトはとても不安げな表情を浮かべていた。
退院できるんだっけと無理に笑顔をしていた割には、すぐに曇った表情にバーディは不安なのかと声をかける。
シャウトは小さく頷くことで肯定を示した。
シャウトの不安はパニック症状を起こすことにあるのだろう。
なぜか知らないが、バーディのいないところで時々起こすことだ。
本人にも制御できない症状。
鎮静剤等を使わないなら、今のところバーディにしか止めることができない症状。
シャウトの小さな双肩がとてもか弱く見えた。
「なあシャウト。お前さえよければ、一緒に暮らさないか。」
自然とそんな言葉が口を滑りだす。
言った直後に、自分の言葉にバーディは驚いた。
彼女が承諾するかは分からないが、もし一緒に暮らすことになったらそれはある種の拷問だ。
いとしい人がこんなにも近くにいるのに、手出しが許されない状況に置かれるのだから。
一体、いつまで我慢することができるのだろうか。
記憶を失う前のシャウトのバーディに対する認識がどんなものかは分からないが、それより悪いものになることだけは避けたかった。
シャウトはそんなバーディを、目が落ちるのではないかというくらい大きく見開いて見ていた。
「今のは忘れてくれ。」
ふてくされたように、顔をそらしてバーディは言った。
さすがにシャウトの顔は見れない。
「違うの!」
バーディの言葉に、嫌われたと感じたのか、悲痛な叫びでシャウトが言った。
シャウトの気配がバーディに近づくのを肌で感じる。
「本当に、あたしでいいのか……。」
尻すぼみに、シャウトはそう言った。
自分の言動が、こんなにも彼女を不安にさせたのだろうか。
「当たり前だろっ。」
もしそうだとしたら、自分が腹ただしい。
いまさら何を、という思いがバーディにはあった。
「もともと一緒に暮らすつもりだったんだ。記憶があろうとなかろうと、これから一緒に思い出ってもんを作りたいと思うかどうかが問題だろ。」
もし、そんなに記憶がないことを罪だと感じているのなら。
そして、こんな言葉を口にしなければいけないほど、不安感ばかり与えていたのなら。
「それじゃ、式はどうするの?」
不意にシャウトが聞いてきた。
式自体はキャンセルのできるぎりぎりまでシャウトの回復を見るつもりでいた。
だが、それとは違う問題がある。
「お前、いいのか?!」
バーディは驚きをあらわに、シャウトに向き直る。
「知らない男と一生一緒にいようってことだろ。」
記憶を失ったシャウトの心情はバーディにはわからない。
だが、たぶんそう言うことだろうと推測する。
もし逆だったら、バーディはシャウトと結婚しようと思うかは分からなかった。
「うん。でも、あたしが知っていたかもしれないこと含めて、これからもっと知っていきたいなって思うのはダメ?」
シャウトはバーディにそう言った。
上目遣いに、すがるように見つめる視線はバーディの心拍数を急上昇させる。
今からこんな状況じゃ先が思いやられるぜ、そう自分に対して苦笑する。
シャウトの顔が見られないのでそっぽを向きながら、考えさせてくれとバーディは頼んだ。

結局、バーディはシャウトの頼みを承諾した。
退院後、シャウトの部屋から荷物をタクシーに詰め込み、バーディは自宅へ走らす。
もともと一人暮らしだったこともあって、寝室は一つしかないが、シャウトは何の抵抗もなくバーディと同じ布団にもぐりこむ。
バーディはそんなシャウトの髪をやさしくなでるだけ。
それ以上は持てる理性を総動員させて我慢に徹する。
本当に、いつまでこの身がもつだろうか。
バーディは静かに、ため息をひとつついた。
バーディとシャウトの同居生活は、まだ始まったばかりだった。
ってことで、drop outバーディサイドです。
pick upのシャウトサイドもそうですが、一日で書きあげるとか何やっているんだろう…。
シャウトさんは、足に怪我していなかったから交通事故に遭ったことは知りません。
たぶんこの秘密はバーディが墓場にまで持っていくと思う。
drop outとpick upのシャウトサイドと話が合うようにしたらこんな感じになりました…。

戻りませう