pick up -Side B-

カレンダーを見て、バーディはため息をついた。
いつの間にか一年という月日が流れていた。
シャウトの記憶は相変わらず戻る気配を見せていない。
一度は記憶がなくなっても変わらない関係を築けると思っていた。
しかしどこか残るよそよそしさから、バーディは一歩先を踏み出せずにいた。
誰しも初対面という時期はあり、そこから関係を形成していくのに、もう一度同じことを繰り返すのは無理なのか。
たかが関係をリセットしただけとはもう思えなくなっていた。
記憶を失われるのは、引け目も重なって関係がどうしてもよそよそしいものになるのか。
しかもバーディが覚えていることがさらに残酷だった。
シャウトがバーディを忘れたことによる不安が大きく、バーディを強く求めていた。
自分の腕の中で、記憶を失ったことによって虚無感を感じ震える彼女を、バーディはなすすべもなくただ抱きしめることしかできなかった。
そう言う不安は暮れゆく日に合わせて、夕方から夜の時間帯にかけて彼女が強く感じていくことにバーディは気付いた。
夏海館であわただしく働いているときは感じない分、帰宅した後の魂の抜けた感じは見るのも辛いくらいだった。
そんな彼女は夜、バーディの隣で決まってとても幸せそうな表情で眠っていた。
バーディは、大切なこの彼女を毎晩肌で感じながらも、理性を総動員させて寝ることに専念するしかできなかった。
シャウトの記憶が戻るのが先か、理性が吹き飛んで彼女を襲ってしまうのが先か、そんな問いが常に頭の片隅を占めた。
シャウトが大切だからこそ、彼女が嫌がることはやりたくない。
それが自身に対する言い訳なのをバーディは自覚している。
記憶がなくなってもシャウトはシャウトだと誰もが言うだろう。
そのシャウトというのは何で定義しているのだろうか。
シャウトの体さえしていれば、その人物はシャウトと呼べるのか。
バーディが大切だと思ったシャウトなのだろうか。
それがバーディにはわからなかった。
ゼロがマイティの記憶を持っていたとしてもマイティではないように、たとえシャウトの意識が別の存在に移されてもそれはシャウトとは呼べないだろう。
自分の体にコンプレックスを抱いて悩んだり、強く振舞おうと一人何かと戦っていたり、そんなシャウトから目が離せなかった。
あの小さな体、双肩で、何か大きなものすべてを自分一人で抱え込むような。
本人は結構コンプレックスを抱いているようだが、バーディに言わせればとても愛らしく、頑張る姿は健気にも見えた。
どこが好きなのかなんて、どこか一つ取り上げて好きだと言えるものなんてない。
シャウトという存在はその全部を持って初めてシャウトと呼べるのだから。
記憶を失ったこと含めて、シャウトには変わりないのだが、どうしてもまだそのことを受け入れていない気がする。
受け入れていないからこそ、シャウトのことを体目当てだと思われることに恐れを抱いて消える気配がなあった。

バーディはバーディなりにシャウトの記憶を失う原因を探していた。
ナイトリーに頼んで、シャウトの当時の行動を調べたこともある。
記憶を失う直前に、シャウトは交通事故に遭っていたが、事故に遭う前にシャウトは意識を失っていて本人ですら事故に遭っていたことは知らないようだった。
事故に遭ったショックで忘れた可能性もあったが、これに関しては運転手含め通行人が見ていたため、裏は取れていた。
女性が倒れていくのと急ブレーキがかかる音がしたのは同じくらいの時だった。
バーディ自身タクシーを運転しているので、車の速度や急ブレーキをかけてからぶつかるまでの時間などでブレーキかけた時シャウトからどれほど離れていたか推測がつく。
事故の様子もナイトリーに調べてもらったものがあったが、シャウトは飛ばされたというよりも足だけ轢かれた状態だったのは疑いようもなかった。
足が轢かれているということはその前に倒れていたと考えるのが筋である。
シャウトは轢かれても特に何の反応も見せず、すぐに駆け付けた運転手が頬を叩いても意識を戻さなかったそうだ。
運転手がすぐに救急車を呼んだのは幸いした。
運転手の話では道を飛び出したシャウトがそのまま倒れたとかだったらしく、飛び出す前にシャウトが何か見たのかもしれないとバーディは思ったが、特に目立つ何かがあったようには思えなかった。
さすがにナイトリーと二人で調べても、過去のある一点の時間の人全員を調べ出すことは不可能だった。
けれど、その時見たものがシャウトの記憶を失うに至ったのと関係があるとは考えていた。
シャウトに聞ければどんなに楽かと思ったところで、それはシャウトに新たな記憶を埋めさせかねない。
だからバーディは自分の胸にそっととどめることにしたのだった。

シャウトのことをふと考えていたら、一年前と同じ胸騒ぎがした。
あの時はシャウトが病院に運ばれていった。
今度はシャウトに、何が起きたのだろうか。
そう思ったら、タクシーなんて運転している場合ではない気がした。
今乗せていた客を目的地で降ろすと、バーディは家へ急いだ。
今日、彼女はお店を休んでいたはずだ。
出かけていなければ、家にいるはずだった。
「シャウト!」
ドアを開けるなりバーディはそう叫んで中に入る。
どうしたのとかそう笑って返される声は、ない。
いつもはそこまで長く感じない廊下がこの日ばかりは長く感じる。
奥に入ってバーディの目に入ってきたのは、涙の痕の残る顔をして椅子の上で眠っていたシャウトだった。
その様子にバーディは安堵のため息をつく。
このまま寝かせて体を冷やすわけにもいかないので、バーディは自分の上着を脱いでそっとかけてあげた。
せっかくシャウトが寝ているので、夕飯はバーディが準備する。
一人で暮らしていた時は、食事なんて食えれば良かった。
今はシャウトもいるので、彼女のことも思って少しずつ料理の練習もしていた。
シャウトがおいしそうに食べるのが見たくて、バーディは徐々に料理の腕もあげていった。
さすがにまだ一年にも満たない料理歴なので、腕前は彼女の足元にも及ばない。
いまさらながらに、あの時のルーイのラーメンの才に舌を巻く。
「アレ……?」
食卓が彩り始めたころ、シャウトのつぶやきが聞こえた。
「起きたか。」
顔をシャウトのほうへ向けて、バーディはほほ笑んだ。
その声で、寝ぼけ眼のシャウトの視線はバーディに固定される。
その奥で食卓がバーディの作られた野菜やらで彩られているのにも気付いたのだろう。
「あ、ご飯……。準備してくれたの。」
申し訳なさそうに、それでいて嬉しそうにシャウトが言った。
「当たり前だろ。」
バーディはそう返す。
気持ちよさそうに寝ているシャウトをたたき起して料理をさせるほどひどい男は演じたくなかった。
「でも、帰り早いね。」
「なんか胸騒ぎがしてな。ま、実際泣いていたみたいじゃないか。」
シャウトの言葉にバーディはそう返す。
シャウトの目じりにはまだ、涙の痕が残っていた。
「バーディ……。」
シャウトがバーディの名を呼んだ。
バーディの名を呼ぶことはこの一年、非常に少ないことではあったがそこまで珍しいことでもなかった。
でもここまで重々しくバーディの名を呼ぶことは初めてだった。
何か思い出したのか。何かあったのか。
ただならぬ雰囲気に、バーディはそれまでやっていたことを止め、真っ正面にシャウトに向き合う。
「本当に、あたしでいいの。あたしが好きなの。」
叫ぶようなシャウトの声がバーディの胸に刺さる。
シャウトの両の瞳から涙がこぼれおち、あふれんばかりの感情に当てはまる言葉を投げつけているようだった。
「ねぇ、本当にあたしなの。あたしのこと愛しているの。」
シャウトの言葉は続く。
切実さを伴うその感情に、バーディは返す言葉が見つからない。
「なんで割れものを扱う見たいに接するの。大切にしてくれているのは分かるけれど、愛しているのかなんてわからない。」
「シャウト……。」
やっとの思いでバーディはそれだけ言う。
口下手なバーディは、言葉で表すよりも態度で表すことのほうが多かった。
それでわかってくれると思っていた。
シャウトが記憶を失ってから、もしかしたらさらに態度のほうでも遠慮が出ていたのかもしれない。
とにかく、言葉が少なかったことが彼女をここまで不安に追いやった。
マイティが相談してくれなかったことに悔しく思ったように、バーディが何も言わないことがシャウトにはさびしかったのかもしれない。
「わかんないものはわかりたくない。言い訳も聞きたくない。」
すまない、そう言おうとした時、だだをこねるようにシャウトはそう騒ぐ。
両手を耳に当て、バーディの声を聞かないようにして首を横に振る。
彼女の細い首がそのまま折れてしまいそうなほど強く振っていた。
それはシャウトが珍しく見せた、拒絶の意思。
こんなに大切なのに、そう思った時冷静に考えるバーディは姿を消した。
「シャウト。これ以上言ったら、怒るぞ。」
シャウトの腕を乱暴に引き離し、そのまま肩を掴み壁に押し付ける。
涙を浮かべ震える顔で見上げるシャウトの横に乱暴に手をつける。
シャウトは壁とバーディの間に挟まれ、横はバーディの両腕でふさがれて逃げ道がなかった。
シャウトの表情がバーディの感情をさらに昂らせる。
バーディは逃げられないシャウトの顎に左腕を伸ばすと、そのまま引き寄せた。
そしてひたすらに彼女の唇を貪る。
今まで抑えていた分の感情まで噴き出してきたかのようだった。
視界の端で驚いたシャウトの顔をとらえた時、バーディは自分が何をしていたのか気付いた。
顔を離し、力いっぱいシャウトを抱きしめる。
そうでもしないと醜い、本能のままに動いたバーディを知ったシャウトが逃げてしまいそうで。
「何があったか知らねえが、絶対お前を離さないからな。お前じゃなきゃだめなんだよ、俺も。」
改めて自分の弱さを自覚したバーディがそうつぶやく。
かすれるようなその声は、確かにシャウトの耳に届いていた。
「もうこれ以上はやめろ。俺が止められなくなる。」
徐々に落ち着いていく意識と、少しのきっかけでまた爆発しそうな感情を自覚しながらバーディはそう言った。
シャウトを放すことを、惜しいと思いつつも、これでいいのだと自分に言い聞かせる。
突然の出来事でシャウトはまだ放心しているようだった。
「ほら、早くしねえと飯が冷めるぞ。」
そんなシャウトにバーディはそう声をかける。
なるべくいつもと同じような様子を心がけながら。

夕食後、特に何をするでもなくソファに並んで座った。
食前のこともあって、特に何かしたい気分でもなかった。
「あのね、あたし、ずっと苦しかったんだ。」
重い口を、それでも明るそうにシャウトはそう言った。
シャウトを不安にさせたつけが回ってきたのなら、それを黙って受け止めてあげるのはバーディの役割である。
シャウトがどんなに不安だったのか。
記憶を失う前、バーディに対してどのように想っていたのか。
バーディは黙って聞いた。聞くことしかできなかった。
もし過去に戻れたら、もっと彼女に何かしてあげられたかもしれない。
そう思うものの、結局バーディ自身が変わらなければ、何も変わらなかったのかもしれない。
遅かれ早かれ、このようなことはいつか来るものだったのかもしれなかった。
シャウトは話終わると口をつぐんだ。
奇妙な沈黙が流れる。
弁明するつもりではなかったが、バーディは何か話さずには言われなくなった。
「俺は……怖かった……。」
そう口からこぼれおちた言葉は、バーディの感情にふさわしい言葉だった。
そうか、怖かったのかとこの時自分で気付く。
「シャウトが大切だというのは分かっていた。だが、体だけを求めているようで怖かった。」
シャウトの何を求めているのか、いつの間にかわからなくなっていた。
ただひたすらシャウトを求めて、どこかでシャウトを求め続けて。
シャウトを抱き人形にしてしまいそうな自分に恐れた。
大切だからこそ、どのように接したらいいかわからなくて自分の胸にとどめ続けてきた。
たぶん、シャウトもずっとそうだったのだろう。
本当はもっと早くに腹を割って話し合えればよかったのかもしれない。
「バーディ、あたし、たぶん、独占欲強いよ?」
バーディの話を聞いたシャウトがそう言った。
「それはお互い様だろ。」
バーディは笑ってそう返した。
何か重荷のとれたような、晴れやかな笑みになった。
そんなバーディを見たシャウトは目を大きくさせ、ぽろぽろと涙をこぼす。
かと思いきや、胸が苦しいのか、手を胸に当ててかがみこんだ。
「おい、シャウト、大丈夫か。」
突然のシャウトの変化にバーディは焦り、シャウトを抱き寄せようと両腕を伸ばす。
「なんで…あの日…笑ったの…?」
痛む胸を押さえながら、とぎれとぎれにシャウトはそう聞いた。
あの日と突然言われてもバーディには何のことかさっぱり分からない。
だが、もしシャウトが記憶を取り戻したのだとしたら。
記憶を失う直前のことだとしたら。
「見ていたのか……。ちょっと待ってろ。」
まさかあの様子を見られていたとは、とバーディは思った。
そしてまさか、自分が引き金になっていたとはとも思う。
シャウトが記憶を失う事件のあった当日の行動を整理していた時、バーディは自分を考えるのを忘れていた。
ナイトリーに聞かれた時も、自分の行動に何か問題があったとは思っていなかった。
しかし、こうシャウトに問いかけられてしまっては、それが原因だと疑わざるを得ない。
あのとき何をしていたのかシャウトにわかってもらうには実物を見せるしかなかった。
このような事件が起きなければ、もっと早くに渡す予定だったもの。
そのままシャウトと気難しい関係になってしまって、引き出しの中でずっと眠ってしまったもの。
一年そのままにしていて、どこかくたびれた様子だったが、バーディは目当てのものを見つけ出した。
「指輪にサイズがあるなんて知らなかったからな。お前の友達にアドバイスもらったんだ。」
シャウトに渡したバーディはそう言った。
シャウトは受け取った箱を開けようとしながらも、バーディの言葉は聞いているみたいだった。
箱から出てきた指輪は、一年の歳月を感じさせない輝きを残していた。
シャウトをイメージしてバーディが選んだ指輪は、バーディが思ったようにシャウトに似合っていた。
指輪を買った後で、ほかの定食屋のおかみさんとかが勤務中にシンプルな指輪をしていることに気付いたのは余談である。
「ありがとう、バーディ。」
シャウトは指輪を気に入ったようで、右手にはめる。
左にはすでに、同居生活を始めた時に買ったものがされていたからだ。
気に入ったようでよかったと安堵したバーディに不意打ちが来た。
シャウトが腕をまわしてきて、バーディに口づけたのだ。
反射的に、バーディはシャウトをそのままソファに寝かせる。
シャウトは目を白黒させながらも、手をバーディの頬へ滑らせ、なでた。
「バーディ、落ちない?」
何が起きているのかよくわかっていなさそうな彼女はそう問いかける。
そんなシャウトの問いにバーディの興がそがれる。
「何やってるんだ。」
半ばあきれながらも、バーディはそうシャウトに聞く。
「なんかすごく久しぶりに会ったような気がして。」
バーディを肌で感じたくなっちゃった、そうもごもごとシャウトが言う。
赤面したシャウトはそれだけでもかわいく感じた。
「場所を移すか。」
バーディはそうつぶやくと、お姫様だっこの要領でシャウトを抱える。
シャウトはよくわかっていないようだったが、お姫様だっこがうれしいのか、腕を回してきた。
記憶を失ったのが今までバーディが不安にさせてきたことの積み重ねで、直前のショックと事故に遭いそうだというショックが共鳴したものだとしたら。
シャウトを抱えながらバーディはそう思う。
共鳴して頭の中で不安が増幅する前に素直になればよかったのかもしれない。
彼女の不安が少しでも軽減されれば、そう思いながらバーディは寝室へ向かった……。
この後バーディがどうしたのかなどなどはご想像にお任せします〜;;
個人的には、お姫様だっこされている環境が居心地良すぎて、シャウトが寝ていたら面白いなーと思っています。
バーディには非常に申し訳ないですけど。
四作に分かれたシャウトの記憶喪失ネタですが、これで一応完結です。
楽しんでいただければ幸いです。…ってそこまで楽しい話でもないんだけど(汗

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