Trust

恋とかそういうものは無縁だと思っていた。
それが、苗床かのこが芽生え始めた自身のその感情に気付いた時思ったことだった。
ずっと繰り返していた転校生活によって染みついた考えは、そう簡単に払しょくできるものではない。
それでも、この先もずっと一緒にいたいという思いを抱くようになってから、何かが変わったのは事実なのだろう。

「苗床?」
かのこは最近、初流の一挙手一投足にまで反応するようになっていた。
なぜなのかはよく分かっていないが、彼に声をかけられるだけでドキドキと高鳴る胸を押さえられない。
初流はそんなかのこを不思議そうに見ているのだが、かのこの現状を知った時どう反応するのかわからない。
「ど、どうしたの。椿君」
やっとの思いでかのこはそれだけいう。
「いや……お前、どこへ行こうとしているんだ?」
教室あっちだぞ、と初流はかのこの背のほうを指さす。
そこでかのこは、動転して逆の方向へ進もうとしていたことに気付いた。
「あー、そうだ、そうだね。あはは」
かのこは笑ってごまかすが、そんな嘘すべてお見通しだと言わんばかりの不審顔の初流。
「お前、最近おかしいだろ。熱でもあるのか?」
そういったかと思うと、初流はおもむろに腕を伸ばし、かのこの熱を測る。
初流の体温が、額から直に感じられる。
「熱はない、か」
何事もないように初流はそうつぶやく。
かのこはその様子を少し恨めしげに見つめることしかできない。
事あるごとに初流がかのこに気があるというような話をされてきたが、かのこはそれらを信じていなかった。
かのこのことが好きだとしたら、なぜこうも何事もないかのように接するのだろうか。
疑問だけは増えていき、初流に対する想いが好奇なのか好意なのか友情なのかすらわからなくなってくる。
ただわかるのは、自分なんかが彼を好きになっていいのかという疑問だけだった。
桃香が好きだった―桃香自身は今は違う人が好きだと言っているがかのこには相変わらず誰かわからない―人だからというわけではない。
初流の隣に立つのに自分はふさわしくないなと自覚していたからだ。
初流の印象を壊してしまうかもしれない。
桃香はああ言っていたけれど、やはり桃香を傷つけてしまうかもしれない。
どこかでそのような思いがあったのかもしれないが、かのこにはわからない。
このような感情は、意識に上がらない底辺をくすぶり続けるだけだから。
「やべっ、遅刻する。ほら行くぞ!」
かすかにチャイムが鳴る中を、初流はかのこの腕を引っ張って駆けだす。
初流のペースで駆けているため、かのこの足はついていくことができない。
何度かバランスを崩して倒れそうになるが、力強い初流の腕に、倒れることはなくてもひたすら引っ張られ続けるだけだった。
友達思いなのか、初流は決してかのこを見殺しにすることはない。
初流のペースとはいえ、かのこが転ばないようギリギリのところで妥協したり、手を貸してくれたりしている。
交友関係の中では一番付き合いが長いこともあって、初流の些細な行動もいつの間にか手に取るようにわかっていた。
今ならば、いつだったか初流がかのこの表情をあてられたこともわかる気がする。
引っ張られながらも、かのこはそのことに気づかされていた。
足元がおぼつかなくっても、だからかのこは初流を責めようとは思わない。
もっと早くにいえよと思ったところで、今回はかのこの様子がおかしくて熱があるかと心配されたことがそもそもの原因だ。
遅刻したところで、この優しさを責める筋合いではない。
もっとそのままでいたいと願ってしまったのは自分なのだから。
でも、おかげで二人とも次の授業に間に合うことができた。
時間通りに始めない先生で、そこは助かったところでもある。

授業が終わるや否や、初流がかのこの席にやってきた。
「苗床、お前今日大丈夫なのか?」
時々おかしくなるよなお前、と初流は言葉を続ける。
「大丈夫だよ、椿君」
かのこは意識して笑顔を作って答える。
もちろんそれが作られた笑顔だってことは初流にはお見通しなわけで。
「じゃ、なんでそんな顔するんだよ」
そう言って初流はかのこの両頬を引っ張る。
「ひゃにひゅるのー」
かのこは初流をにらみつけるが、初流はそんなかのこを面白そうに笑う。
手を離す気配を見せない初流に、かのこは少し暴れて抵抗する。
そんなかのこに、初流はさらに上機嫌に笑い出す。
かのこをいじることがとても楽しいようで、かのこは面白くない。
頬を引っ張られているので眼だけだが、かのこはむくれた。
「やっといつものお前に戻った」
相変わらず笑ったままで、初流が言う。
頬から手を離し、ポンポンと軽くかのこの頭をたたく。
かのこはきょとんと初流を見た後、初流がかのこを慰めていたのだと気付く。
「もともと大丈夫だって」
でもありがと、っとかのこは言う。
今までわからないことは初流の助言で助けられてきたが、今回ばかりは初流に助言を求められるものではないから。
むしろ、今でもそばにいてくれることに感謝していた。
初流はそんなかのこをもの言いたげな目で見ていたが、結局何も言わずに自分の席へ戻った。
そろそろ次の授業が始まろうとしていたから、だ。
そのことに気づいて、かのこはあわてて次の授業の準備をする。
かのこが、その時初流が何を言おうとしていたのか知るのは放課後のこと――。

下校時、初流はいつにもましてかのこと強引に帰った。
特に約束とかはしなくても、大抵いつも一緒に帰っているので、一緒に帰ることに関しては疑問を挟む余地はない。
むしろ、一緒に帰らないことがあるとしたら、そっちの方が疑問に思うところだろう。
だが、かのこには、どうしてこの日の初流がかのこの腕を引っ張ってでも早く帰ろうとするのかわからなかった。
「どうしたの、椿君。痛いんだけど」
わざと顔をしかめてかのこはそう聞く。
はたから見たら明らかにこれは初流がかのこを強引に連れて行く図だった。
初流のほうはそんなかのこを無視してとにかく先を進んでいく。
初流のこのような強引な行動のおかげか、普段しつこくついて来る新聞部などの人に捕まることなく駐輪所にたどり着けた。
初流は慣れた手つきでかのこからかぎを受け取り自転車を取り出す。
自身はサドルにまたがり、かのこが後ろに座るのを確認すると自転車をこぎ出す。
かのこは振り落とされないためにも初流に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
初流の背に触れた部位が温かく感じられ、とても心地いい。
「なあ、苗床。お前、俺の気持ち知っていてやっているのか?」
同じ学校の制服を着た人が見えなくなったところで初流がきいた。
「え?どういうこと?」
わからないかのこが聞き返すと、あきれたと言わんばかりの深いため息を初流はついた。
自転車が止まる。
初流が後ろを振り向き、右手をかのこの頬にあてる。
かのこは初流の手によって、若干顔を持ちあげられ、初流としっかり視線が合う。
目が離せなかった。
かのこが見てきた中で、一、二を争うほどやさしい顔を初流はしていた。
優しく、それでいて目が離されることを許さない初流の瞳。
初流の瞳に、かのこは完全に魅入られていたのかもしれない。
初流の顔が近付く。初流の瞳に映るかのこが大きくなる。
そして、目の前を影が覆う。
唇に温かいものが触れたのがわかる。
かのこの後頭部を押さえる、初流の大きくも温かい右手の熱が脈打つように伝わってくる。
そのまま一秒、二秒、三秒と時が流れていく。
五秒ほどしたところで初流の頭が離された。
「えっ……ええー!!」
一瞬ののちに何が起きたのか理解したかのこの頭がパニックに陥る。
「わかったか」
冷ややかに見ているのであろう初流が言う。
「わからない!わからない!何今の!夢よね!夢!」
そんな馬鹿な!とか、きっと都合のいい夢を見ているに違いない!とか何とか、かのこはつぶやき続けた。
正直なところ、何を言っていたのか自分でも覚えていない。
ただ、初流の行動が信じられなかっただけだった。
「こんなこと、嘘でやるかよ」
認めようとしないかのこにイラついたのか、声のトーンが落ちた初流の声がする。
「だ、だって!椿君が、顔の悪い女とは話したくないって言ったんじゃない!」
それは、かのこがはじめて初流と話した時の話だった。
今度は初流のほうが、驚いたような呆けたような顔をする。
「えっ、何お前。まだあの時の覚えていたわけ?」
「当たり前でしょ!」
その言葉に、かのこがどれほど傷ついたのか、初流は知らない。
「悪い悪い。今は全然そんなこと思っていないから」
初流がかのこの頭を笑いながらポンポンと叩く。
初めはむくれていたかのこも、それにつられて笑いだす。
かのこの機嫌が直るのを確認すると、初流は再び自転車をこぎ出した。
――それに、そんなに変わりたいなら俺が変えてやるよ。
正面を向いて自転車をこいでいる初流の声が、かすかにそう聞こえた気がした。

気持ちに整理できるまで返事は待つよと初流は言ってかのこと別れた。
だから今、かのこは自分が初流をどう思っているのか考えている。
どうしても今までの経験とか、やり取りとかが頭をよぎって、否定する言葉を必死に探す自分に気づかされる。
でも、とかのこは思った。
ずっと一人を通していると思ってきていたが、やはり常にだれか他者の視線を意識して行動していたのかもしれない。
初流に対してもそうだ。
“椿君の彼女にふさわしくない”という思いから始まり、“自分なんかが好きなんてマニアックな趣味だ”“桃ちゃんに悪い”……他者の視線を意識したものは挙げていったらきりがない。
本来、恋愛というものは自分と相手がお互い好きだったらそれでいいはずなのに。
そこでやっぱり、初流はすごいということに思考がそれる。
初流といると、かのこはいつもいろんなことを気づかされてきた。
そして、たくさんの力をもらった。
それは今も同じ。
初流自身だっていろいろあっただろうけれど、いつの間にかそういうのは乗り越えてきていたのだろう。
そのうえで、かのこを一番にしてくれたのだと思う。
もっと早くに気付くべきだったのかもしれないが、制服の第二ボタンだって、きっとそういうこと。
かのこは常に手の届くところにおいていた、初流の第二ボタンを久しぶりにぎゅっと握る。

かのこが初流に答えを出すことができるのは、もうそんな遠くない未来のことかもしれない――
椿かのです。はい。
一応Hanaの続編と言うポジションにおいていますが、Hanaを読まなくても全然OKな内容になりました。
タイトルは浜崎あゆみさんの曲より。
時々地の文を椿と書きそうになりますが、初流と書くようになってから二作目にしてようやく慣れてきました。
どうせお姉さんはハル君って呼んでいるんだし、別に初流って書いたところでおかしくはないんだけどさ。
11話で椿君を思い浮かべていやまさかって否定していたり、最終話で第二ボタンが出てきたり。
と言う変な所で2828したものを詰め込んでみました←
色々と当初考えていたのと流れは変わったけれど、これはこれでいいかなーって思っています。
キスとかキスとかキスとか入れる予定なかったーーーーーー!!!←

…はっ!!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!!

戻りませう