ある秋の日 -Side M-

それは秋のとある日の出来事だった。
この日の操は朝からそわそわしていた。
普段はうれしいはずの蒼紫がそばにいても、それが気にならないほど。
なぜなら、操はこれから年に一度か二度の絶対外せないわがままをするつもりだったのだ。
蒼紫が外法狩りに出ていることは操も知っている。
蒼紫が出て行ったあとで毎晩、蒼紫の無事を願っていた。
わかっているからこそ、頼むのがはばかられるお願い。
それでも今日だけは、そばにいてほしいと願う感情。
それらの感情に板挟みになり、操はとにかくきっかけがほしいと願った。
きっかけがなくて頼めなかったら、あきらめることもできただろう。
しかし、そのきっかけはあっさりとやってきてしまった。
「操、どうしたんだ?」
そう尋ねてきたのは蒼紫だった。
「あ、蒼紫様?!」
操は驚きでそれしか言えない。
蒼紫の顔を見つめ、ただ口をパクパクさせるのみ。
「お前は昔から、何かあると落ち着かなくなるからな。何か言いたいことでもあるんじゃないのか?」
さすが小さいころから操を見ていただけあるのか、蒼紫はこういうところには聡い。
操の些細な行動からでも、操の心情を察することはできるようだ。
だが、蒼紫は肝心なことを忘れていやしないだろうか――?
「あの、蒼紫様、きょ、今日は早く帰っていただけますか?!」
誕生日だから、その言葉は飲み込む。
一瞬、蒼紫の目が大きく見開かれた。操がなんでそんな願い事をしているのか、見当がついていないかのようだ。
「わかった。努力する。」
すぐに目元が優しくなり、蒼紫はそう言って操の頭をポンポンとなでた。
操は頭を押さえ、蒼紫を見上げる。
その顔には笑みが浮かんでいて、操もほほ笑んだ。
「操ちゃーん、ちょっと手伝ってくれなーい?」
その時、増髪がそう呼ぶ声が聞こえてきた。
時刻はまだ昼間。葵屋にとっては客足の途絶えない忙しい時間帯だ。
猫の手も借りたいとはまさにこのことで、操もお店を手伝いをしに行く。
最近は蒼紫も手伝うようになり、それが蒼紫に対して遠慮や不信が本当になくなったのだと思えて操はうれしい。
「はーい。今行くー!」
操はそう言って、増髪の声の方へトタトタと駆け足で向かっていく。
背後に蒼紫の見守る視線を感じて――

結局葵屋の仕事に追われ、日が暮れて蒼紫が外法狩りに出かけるころになっても終わる気配を見せなかった。
そのため、蒼紫の見送りに行くことは残念ながらできない。
操は一人、そっと溜息をついた。
一分でも、一秒でも長く視界に収めておきたいから見えなくなるまで見送るのが操の日課になりつつあった。
見送りするためならと、どんなことも操は頑張ってきた。
でも、仕事が終わらなかったのだ。運がなかったとあきらめるしかない。
操は首を強く振り、両頬を叩いて気合を入れ直す。
もう子どもではないのだ。思うように事が運ばなかったからって、だだをこねるわけにはいかない。
蒼紫に釣り合うため、もっと大人の女性になりたかった。
だから、頑張るしかないし、お店の手伝いを頑張ることができるのだ。
それに、今日は早めに帰ってくると約束をしたのだ。
仕事が終わったら、玄関で蒼紫が帰ってくるのを待とう、そう心に決める。
そして実際に操は玄関で、寒さに震えつつも蒼紫の帰りを待った。
翁や増髪、ほかの面々にどんなに声を掛けられても建物に入るのを拒否した。
誕生日なのだ。一秒でも長く、蒼紫がみたいのだ。
また蒼紫が帰ってこないと告げられるような日が来てほしくないのだ。
おめでとうなんて言葉はいらないから、ただそばにいてくれればそれだけでよかった。
しかし、蒼紫の帰ってくる気配はまったく見受けられなかった。
蒼紫は今日、帰ってこないのではないのか、そんな不安がこみあげてくる。
祈るように操は道路を見つめるが、ただ闇しか見えない。
蒼紫がいないのだから、夜目は何の役にも立たない。
何も要らないから、誕生日だけはそばにいてほしかったのに――。
そう言ったら蒼紫を困らせることが分かっていたからこそ、言葉にされなかった願い。
「操ちゃん、もう子の刻だから早く寝なさい」
心配する葵屋の面々を代表して、増髪がそう声をかけてきた。
「もう、そんな時間なの……」
肩を落として、操は葵屋の中へ入ることにした。
子の刻と言えば、もう日付が変わる時刻だ。
蒼紫は、“今日”中には帰ってこない。
日付が変わってしまえばもう操の誕生日ではないのだ。
日付が変わっては、意味がない。
だから、あきらめの境地で操は床に着くことにしたのだ。

結果として、操はぐっすり寝付くことなく朝を迎えることとなった。
理性の面では納得ができても、感情の面では納得することができなかったのだ。
まだ日の登り切っていない、あたりがまだ静かに寝静まっていた時刻に操はそっと葵屋を抜け出した。
葵屋を抜け出すことは過去に何度もあるから勝手は知っている。
そして毎度のことながら行く当てがないどころか、今回は探しに行く旅よりも逃げる旅のほうがふさわしい。
何から逃げるのか、それすらよくわからないほど感情が錯綜しているのだが。
とにかくひたすら走りに走った。
あてはなかったが、足は自然と江戸――東京に向かう。
行く先は、神谷道場。師範であり操の友人である神谷薫の住んでいる場所だ。
感情が昂って全く眠気というものが感じられなかった。
軽く体を休める程度の休息を取っては、操はひたすら先へ先へと走り続けた。
お金は多少持ち歩いていたが、のちのことを鑑みると道場に向かう道中で使う量はなるべく最小限に抑えておきたい。
剣心に出会ってから追いはぎはやめたが、花嫁修業で習った料理とついでに覚えた野草の知識のおかげで何とかこの場でも自炊できるようになった。
道中このような生活をした数日後の朝、操は神谷道場につくことになる。
門をたたき、出てきた薫とその息子である剣路に少し泊らせてもらえないか許可を取る。
目を白黒させる薫に、これでもかというほど操は手を合わせ深々と頼み込んだ。
場所が場所だけに、薫はとりあえず操を中に入れてくれた。
「おりょ?操殿、来ていたでござるか?」
部屋へ移動してた時、薫の夫である剣心が通りかかり聞いた。
「剣心!ちょうどいいところに!剣路、見ていてくれない?剣路、いい子でいるのよ」
剣心の登場に、薫はうれしそうな顔をする。
剣路はブスっとして不機嫌そうだが、いまだに父親に懐いていないらしいから仕方ないのかもしれない。
それでも母親の頼みに懸命にこたえようと言う想いでもあるのか、薫から手を離し素直に剣心のもとへ向かう。
それを確認してから、薫は近くの空き部屋と思われるふすまを開け、操を招き入れる。
薫がふすまを閉めた音が合図となり、操は堰を切ったようにあふれ出す感情を押さえられなくなった。
「薫さん、薫さん!」
そう言って操は薫の肩を強く掴み揺さぶる。
両の瞳にたまる涙はどんどんその量を増していく。
「蒼紫さんがどうしたの」
事情を見透かしているかのように、揺さぶられながらも薫はそう聞いた。
どうして分かったんだろう、一瞬操はそう思う。
だがすぐに、自分が普段どんなに蒼紫のことを中心に回っているのか気付き、気づく気付かないの問題ではないのかもしれないと思いなおす。
「蒼紫様に今日は早く帰ってきてくださいって頼んだの」
そう言って、操は何があったのか薫に話し始めた。
感情の昂りはまだおさまりそうになく、いつも以上に感情の起伏が激しかった。
そんな操の話を、薫は親身に聞いてくれた。
薫の指摘は、わかっているとしか操には返しようがなかった。
その時、ふと操の胸をよぎったのは、せっかくの誕生日だったのにという想い。
「忘れちゃったのかな……」
そうつぶやいた時の操はどこか遠くにいるような気分だった。
和室にいることも、薫がそばにいることも一時忘れ去っていた。
「ごめんね、薫さん。いきなりこんな話しちゃって」
我に戻った操が、今までの様子を微塵も感じさせないように努めて明るくそういう。
明るく振舞うこと自体はある種の防衛本能として、すっかり定着していたので難なくこなせる。
ただ、直前までの様子を薫が見ているだけに、演技だと言うのが分かってしまうだろうが。
「あたし、ほとんど寝ていないからちょっと部屋借りるね。もし蒼紫様が来てもいないって言ってくれる?今はちょっと合わせる顔ないしさ」
だから操は話題を変えるようにそう言う。
眠れるとも思わなかったが、蒲団の敷かれていない畳にそのまま横になる。
薫に話すことによって、感情が落ち着いたのか、それとも本当に疲れていたのか。
少し後には、操は夢の世界へと深く深く落ちて行った。

見なれた人影に、操は飛び起きた。
西日が闇へ変化してきているところから、夕方になっていることが推測のつく時間帯だった。
逆光になっていて、人影の顔は見えないがそれでも操には誰だかわかる。
半覚醒の頭で『えー!!』と叫び、その声で自分の頭も覚醒した。
「操、すまなかったな」
その人影――蒼紫が謝る。
幻じゃなかった、それが真っ先に思ったことになった。
都合のいい夢を見ているわけでもなければ、幻聴が聞こえたわけでもない。
「蒼紫……様……」
それでも信じられない想いが前に出て、声がどうしても震えてしまう。
声どころか、腕まで震えていた。
揺れが体全体に波及して、世界がぐらぐらしていくような錯覚がする。
「本当に、すまなかったな」
そう言って蒼紫は腕を伸ばし、操の頭を引き寄せた。
一瞬のちには、操の頭は蒼紫の力強い大きな腕の中におさまっていた。
蒼紫の胸の鼓動と、ぬくもりが伝わってくる。
それだけですべて許してしまえそうな気がして、操は首を横に振る。
これだけでは、許すわけにはいかないのだから。
しかし、そこは蒼紫のほうが一枚上というのか、操の葛藤をすべて見通しているような蒼紫だ。
「誕生日、祝ってやれなかったからな」
操の耳元でそう囁かれる。
覚えていたことが、操には十分うれしい。
だが、そのあと囁かれた言葉が決定打となった。
操の機嫌を完全に回復させるのはそれだけで十分。

――今度、二人で旅行に行こうか――
大分間が空きました。というか、操ちゃんの誕生月に間に合わなくてすみません。
あんまりリンクしていませんが(もともと薫さんと操ちゃんは同じ時間をあまり過ごしていなかったこともあって)、一応同じ物語を二人の視点から眺めています。
最後ですが、蒼紫様が外法狩りを行っているからこそ、外法狩りよりも操とともに時間を過ごすことを優先してくれたという意味で旅行って重要な意味があるのではないかなって思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

戻りませう