ワカラナイ

かのこは不思議なものを見るように、隣の席――友人である初流――を見ていた。
今かのこたちがいるのは実験室。
実験等は教室ではなくこの部屋で行われる。
実験と言ってイメージされるのは化け学の実験に見られる派手なものが一般的だが、地味とはいえ生物や物理でも実験はある。
いや、それを派手とか地味とかとらえるのは人それぞれであって適切な表現ではないかもしれない。
実験室は月に数回行けば多いほうという程度の頻度でしか利用しないため、最初に決められた座席から席替えはしない。
ここまではまだ納得のいくことで、特段明記するような事柄もない。
だが、かのこにとって不思議なのは、初流が隣だと言うことだった。
出席番号順で並べば、どう考えても隣に来ることは考えにくい。
教室のように席を交換するメリットも考えられない。
一体、初流はどうやって担任を懐柔したのか。
そしてどんな目的があってかのこの隣にやってきたのか。
始めのうちはそれが恐ろしくもあり、重圧でもあった。
実験室を何度か利用していくうちに隣が初流だという環境も慣れ、そこまで気にならなくなったのは最近のことだ。
初流は実験には消極的で、興味というものを示すことがほとんどなかった。
でも実験をやらないわけにもいかないため、かのこは一人勝手に実験していった。
時々初流が隣らしく協力してくれることもあり、それは薬品の混合だったり燃焼反応だったりした。
マグネシウムの酸化反応も、初流がやっているのをかのこは横で見るだけで済んだ。
実験に協力してくれるなら、始めから手伝ってくれればいいものをとかのこは何度思ったことか。
初流が協力してくれるのは失敗したら危険なものばかりなので一度もそれを言ったことはない。
そしてこの日、初流がやっていたのはブロッコリーのすりつぶしだった。
今までの経験則から行けば、危険性はゼロだ。
ただちょっと力仕事なだけで女のかのこには少し大変かなというもの。
それを、俺がやると早々にブロッコリー等をかのこの手から奪い、今に至る。
乳鉢に抽出液を加えるところからすべて初流一人で行われる。
初流の細長い指が手早くブロッコリーをつぶしていく。
「ほらほら、もっとつぶさないと」
何百ともいえる回数すり鉢回す初流にかのこはそういう。
「うるせぇ。これがどんだけ大変かおまえしらねーだろ!!」
そういいながらも、初流の手は速度を緩めない。
「じゃあ、代わろうか?」
確かに大変そうだ、椿君も休みが必要だろう、そう思ったかのこが申し出る。
「いや、いい」
悪態ついていたはずなのに、初流は即答でその申し出を断った。
そんなことさせられるわけねぇだろという声が聞こえた気がしたが、それはきっと気のせい。
初流がそんなこと言うわけがない。
でもそんな思いとは裏腹に、椿君ってやっぱり男の子なんだなという思いと、自分が女の子扱いされているという思いが胸に込み上げてくる。
女の子扱いなんて、と思うとどこかくすぐったくて、かのこはニヒヒといつもの笑いをする。
「ほら、もうこれでいいだろ」
どこかふてくされた声で初流がそう言ってかのこに乳鉢を渡す。
かのこは毛細管を使って印のつけられた薄層クロマトグラフィーの印部分につける。
慎重に、薄層クロマトグラフィーが傾かないようにピンセットを使ってそっとかのこは展開液の中へ入れていく。
ふたをした後はじっと展開されていく過程を眺めるだけだ。
展開液がほぼ平行に薄層クロマトグラフィーを少しずつ登っていく。
白色の薄層クロマトグラフィーが、薄い灰色というのか鼠色というのかそんな色になっていく。
すりつぶされたブロッコリーの点は、展開液に乗って徐々に登っていくが、途中で展開液に取り残されていく。
引き延ばされつつもゆっくり登っていくが、展開液が上から1cm位の高さまで来たところでかのこはふたを開け、取り出す。
展開液が揮発されて線が見えなくなる前に、一番上のラインをシャーペンで書きとめる。
先生に頼み、紫外線ランプを持ってきてもらう。
さすがに紫外線ランプは数が少ないのと直視するのが危険だと言う二点の理由から先生が管理している。
紫外線を当てられた薄層クロマトグラフィーは、何も見えない白色の部分にも黒い模様を映し出した。
そう、これらすべてがブロッコリーに含まれる色素成分なのだ。
それぞれの色素成分の輪郭もかのこはやはりシャーペンでなぞる。
「椿君、すごいよ、すごい!」
はじめて見る薄層クロマトグラフィーによる展開で、かのこは興奮気味にまくしたてる。
ブロッコリーなんてただの緑だろと思ってかかると、この色素の多さに驚きを覚えるものだ。
実はシャーペンでなぞる手も震えていたとか言うのは余談だ。
そんなかのこに対し、初流は何も言わない。
どうしたのかと思ってかのこが顔をあげて見ると、初流はそんなかのこをじっと見つめているだけだった。
その目があまりにも優しくて、かのこは一瞬時が止まったかのような錯覚を覚える。
ただ自身の心臓がトクトクと鳴ることで時が動いていることを伝えるのみ。
「へぇー、これまた奇麗に出たねー」
先生は横から薄層クロマトグラフィーを覗き込み、のんきにそう言う。
みんなも見て見るといいよーなんて言うものだから、椿君の!と叫ぶ女子の集団が集まってきてしばらく大変だったのも余談だ。

「まったく、本当に分けわかない」
ブスっとした表情でかのこはつぶやく。
右手にあるのは先ほどの薄層クロマトグラフィー。
捨てようかとも思ったものの、あの場で捨てればやはり女子たちの争奪戦が目に見えてやめたのだ。
こんな実験で出てきただけのようなものに、どうしてそこまで価値を見いだせるのかが不思議だ。
「それ、どうするつもりなんだ」
かのこの隣を歩く初流が聞く。
「ん、いらないから捨てようかなとは思うよ。椿君欲しいの?」
そう聞かれた初流は目を丸くさせ、かのこの手から薄層クロマトグラフィーを奪う。
もう展開も済んでいるので、表面を触っても大丈夫なはずなのにどちらも側面しか掴まなかった。
「何かに使うかもしれないからもらっとく」
ふーんとかのこは何気なくそんな初流をみた。
初流が何を考えているのかはよく分からないが、これで女子たちのある意味くだらない争奪戦を見なくてすむ。
泥沼な争奪戦を見るのは嫌ではないのだが、初流のまとう雰囲気が居心地の悪いものになるので、初流がらみのものはしばらく遠慮したかったのだ。
「使う機会あるの」
「あいつらに勉強教えるときとか?」
聞いたかのこに、疑問形で返す初流。
実物見た方が勉強になるとは言うが、確かにこれが役に立つ機会なんてあるのかどうか。
「ないんじゃないの」
興味なさそうに、かのこはそう返した。
「そだな」
期待していたわけではなかったが、初流があっさり肯定したのにかのこは驚いた。
使い道もないのに、なんで残そうと思うのか。
高校に入ってからますます初流のことがわからなくなったとかのこは思った。

わからないと言えば、もう一つ初流がらみの実験室でのエピソードがある。
その日は実験室で授業を受けていた途中で顕微鏡で観察をするよう言われた。
顕微鏡は精密機器であるため、落とさないためにも机の上を奇麗にする必要がある。
顕微鏡を使うなら先にいえよと思いつつもかのこが机の上を整理していた時、顕微鏡を取りに動くクラスメイトに交じって初流も席を立った。
顕微鏡すら自分から取りに行かない初流には珍しいなとかのこは思いながらも片付けを終わらせる。
普段はなぜか知らないが、かのこがせきたてて二人で顕微鏡を取りに行くのだ。
それが自分から取りに行く。いいことだとかのこは思う。
さて、人の流れも一段落ついたし自分のを取りに行こうか、そう思った時に初流が戻ってきた。
「ほら、お前の」
戻ってきた初流の手には顕微鏡が二つ。
右手に持っていたほうを机の上に下ろし、そのままかのこのほうへスライドさせてきた。
「え。ありがと」
渡された顕微鏡を、かのこは目をぱちくりさせて初流と交互に見つめる。
確かに顕微鏡に書かれていた数字はかのこの出席番号だった。
あの初流が人のために動くなんてどんな心境の変化だろう、その時かのこはそう思った。
明日雨が降るんじゃないのかと思ったが、結果として雨は降っていない。
「何?どうした」
戸惑うかのこに、初流はそう聞く。
「いや、珍しいなって」
「友達だからな」
素直に答えたかのこに、渋面の初流が言う。
中学時代だったら、友達とはそんなものなのかと認識の幅を広げたことだろう。
しかしあたりを見渡しても、各々自分のものしかとらない光景を見るとはたして本当に友達というのはこんなものなのか疑問になる。
だが、もし友達でないのならなぜ初流が持ってきてくれるのか、かのこには答えが導き出せない。
あの、俺様な王様がわざわざ下々のために情けをかけるなんて信じられない。
もしかして、借りを作ったことによってかのこに何かさせようと考えているのではないのか、そこまで考えた。
でも初流は、貸しだとは言わなかったし、借りを返せとも言ってこない。
本当に無償の行為だったらしく、だからこそかのこには初流らしくない行動だと記憶に刻み込まれていた。

椿君のことがわからないと無自覚に呟くかのこの横で、初流が優しく見守っていたことにかのこが気付くのはきっともう少し先の未来のこと。
その時になったら、かのこは答えを知ることができるのかもしれない。
そしてかのこは何を選択して、その結果どうなるのか。
この時はまだ、だれも知らない。
そんな実験にまつわる一幕の物語。
一時保存で描いた実話ベースのお話。
実話:捏造=3:7ぐらいの割合です。
というのも現実はここまで甘くもなんともないお話なんですけれどね。
ちょっと重くなるので実話にまつわる背景に関しては反転してお読みください。
それにしても、うろ覚えの知識で書いていたらいろいろと悲惨で結局資料集の厄介になるとは…orz

五月雨の高校は一クラス42人前後で、高一の二学期以降普通に話をする友人はクラスに一人だけでした。
それ以外としては、一人が保健室登校、一人が半絶交状態、二人がよくわからないけれど疎遠状態。
そのほかのクラスメイトは一人除いてみんなああいうことして楽しんでいたのですね。
(→ちなみに原因はメインで表面的に語ったこととかmixiの参加コミュとかにあるのでうすうす感づくことだと思います。僕自身正解は知らないので)
直接かかわらなくても、一緒に周りで回る側にいたので同罪だと思っています。
その友人とも呼べない微妙な位置にいたクラスメイトなんですが、出席番号の関係で実験室の時だけは席が隣でした。
四月の段階から人当たりのいい人で人として好きな部類に入っていたのですが、クラス全体があんな雰囲気になって僕とかかわらないようにしてきたときでも変わらずにかかわってくれる彼とのエピソードです。
ある時、顕微鏡を取らなければならなかった時、実験室の後ろに顕微鏡の棚があるのですが、彼が
「出席番号いくつだっけ?」
って聞いたので、僕は何気なく答えた後、「なんで?」って聞いたんです。
聞いた直後に、まさかって思って、
「まさか、顕微鏡取ってくるって言うんじゃないよね??」
って聞いたら、
「当たり前だろ」
って言われました。もちろん気持ちだけで十分だったので、お礼を言って自分で取りに行ったんですが、本当にあのときは嬉しかった。
以前も書いたように、五月雨自身かのこ様に似たような過去を持っているので、一人というのが当たり前で、一人というのに身を置いていた時分だったのでそんな自分に普通に接してくれることがうれしかった。
クラスが拒絶モードになっている中、一人だけ受け入れてくれるような。あの時ほど、実験室に自分の居場所を感じたことはなかったかもしれません。
彼が隣でよかった、と本当に思いました。今でも大好きです。人として。
で、もう一つクロマトの話も一部実話です。僕自身は授業で扱う前にも薄層クロマトグラフィーを扱ったことがあったので、扱い方がわかっていたのですね。
で、ブロッコリーのすりつぶしは力仕事だからと先ほど出てきた彼が(やはり隣だったので)引き受けてくれたんです。
交代は申し出た気がしますが、結局彼一人でやってくれました。
そのあとのことは全部やったことのある(そして生物バカ&薄層クロマトグラフィーラブの)僕が引き受けて細かい作業全部やったんです。
そうしたら、すごいうまく展開できちゃって(笑)
先生が教科書レベルだからみんな見ろっていうんです。
それを見に来たクラスメイト達はみんな僕の隣をすごいってほめるんです。
展開したのは僕なのにって、あの時僕は思いましたね。
でも彼は違った。彼は「俺は何もやっていないよ。これをやったのは五月雨さんだよ」って言ったんです。
あれから○年たちましたが、今でもあの時の彼は大人だったなぁって思います。
ちなみにこの時の薄層クロマトグラフィー、彼にいるか聞かれて即答でもらいました。
生物資料集に挟まっているはずですが(資料集がどこか行ってしまった;;)、今でも僕の宝物です。
まぁ、そんなろくにいい思い出のない中でも大切な高一のエピソードがベースになっています;;

戻りませう