呪いが解けるなら。

本当はずっと怖かったんだ……。
僕の左目が呪われているから。
みんな僕を見て逃げていたから。
僕が触るのを恐れて、拒んで。
血相変えて走り逃げる姿なんて滑稽だって、今は鼻で笑うようになったけれど。
“他人”は動いている物体と同じだったけれど。
君は違うから。
君は物体なんかじゃない。
ちゃんとした人間だ。
だから、呪われた僕が触ることで、君が壊れてしまうのが怖い――。

誰にでも優しい君は、今日も後輩の面倒を見ていた。
「晴香せんぱーい。」
そう声掛ける後輩たちに笑顔を向けて、勉強を教えていた。
たまたま通りかかった空き教室で目撃した風景。
教えるのに夢中な君は気づかなかっただろう。
君にとって僕は、友達の一人にすぎないのだから。
この学校にいる沢山の人間の一人にすぎないのだから。
僕にとっての君は、この学校唯一の人間だなんて知らないだろう。
そして、勉強を教え終わると君はこの教室から去ってしまった。
僕に気づくこともなく。
声掛けてほしいと思ったわけでもない。
僕だって、自分の勉強があるのだから。
君みたいなおしゃべりが近くにいたら気が散る。
不思議だな。
君がいなくなった途端、急に静かになった。
君の後輩たちはまだこの教室に残っておしゃべりしているはずなのに。
モノが話しても聞こえなくなったのかな。
静かなのはいいことだ。勉強するときは特に。

そのまま八雲は教室で一人勉強していた。
今日は霊から頼まれたこともなければ、後藤さんからの電話もない。
そしてトラブルメーカーは先ほど教室を出たばかり。
珍しく平和な時間が流れていた。
平和すぎて、何か物足りなさを感じるくらいだ。
しかし、八雲はこういう日がないとまともに勉強する時間がなかったのも事実だった。
特に後藤から電話があった日には最低でも丸一日事件にかかりっきりになる。
たいてい三日くらいは拘束されるのだが。
ふわぁぁぁぁ……
八雲はあくびをした。
どうも危機感がなくて、勉強しようという気が起きない。
図書館へ行くか、食堂にでも行ってくるか。
借りた本はまだ読み終わっていないこともあって、八雲は食堂へ行くことにした。

見たくない時に限って見えてしまうのはなぜだろうか。
食堂には晴香がいた。
友達だろう、一緒に笑う相手が数人いた。
どこどこの服がかわいいとか、誰々と誰々が付き合っているとか、たわいもない話で盛り上がっている。
「ねえねえ、知ってる?」
そのグループの中で誰かが言った。
「何が?」
「えっ?何?何?」
「今度は何なの??」
その言葉に対してほかのメンバーが食いつく。
もちろん、晴香も食いついた人の一人。
「隣町においしいスイーツ店ができたんだって。今なら開店セールで、カップルで行くとケーキが付いてくるらしいよ。」
「え〜。いーなー。孝史に連れて行ってもらお〜」
「…沁也君、連れて行ってくれるかな…。」
「うーん、誰と行こう。」
本当に女と言うのは、この手の話題が好きだな、八雲はあきれながらもその様子を眺めていた。
晴香は何か考えているように右手を当てている。
「どうしたの、晴香。」
そんな晴香の様子に気づいた一人が声をかける。
「そういえば晴香だけ彼氏いないんだっけ。誰か紹介してあげようか?」
「いやいや、椿さん。晴香ちゃんなら喜んでついていく男の方が多いですよ。」
「あんたそれ私の前では禁句だって言わなかったっけ?」
彼女たちはそうやってまた盛り上がる。
「…いいよ、そんな気をまわさなくても…。」
小さく縮こまった晴香が言う。
「彼氏のいない学園生活なんて、学園生活の醍醐味の半分も味わえないよ。」
「そうだよ、晴香。彼氏がほしくないとかそれはおかしいよ。」
「彼氏作ったら晴香もきっと変わるって。」
彼氏彼氏って、そんなの偉いのか。
八雲は冷めた目でそんな光景を見ていた。
晴香を見ているだけで、退屈しない事実に気づかないふりをして。
「だ…だって、今、ほしく、ないんだもん…。」
そういう晴香にほかの友達は意味ありげな視線を投げかけた。
「そういえば最近晴香かわいくなったよね。片想いなの?」
「そういえば、晴香ちゃん、最近よく男といるところを見たって話をきくね。」
「確か一時期超能力があるとかで騒がれていたよね、その人。」
「そうそう、名前は確か――」
「き、嫌いだもん!!あんな奴。」
ムキになって否定する晴香。
「そんなムキになっちゃって。」
「やっぱり好きなんじゃないの。」
そんな晴香に容赦ない突っ込みが入れられる。
「だから本当に嫌いなんだってば。口悪いし。嫌味しか言わないし。」
「うっそー、晴香ってマゾだったの。」
「だから人の話聞いてよ!!違うって言っているでしょ!!」
晴香の否定する言葉が、容赦なく八雲の心を突き刺した。
理性では、言っていることが晴香の本心ではないと告げている。
しかしどうしても感情がついていけなかった。

君は――僕の世界から、色を奪うのか。

八雲は席を立った。
椅子を引く音が食堂に響く。
「あ……。」
晴香の声が耳朶に響く。
先ほど晴香と一緒にいたグループの視線を一点に浴びているのが、肌を通して感じられた。
八雲は晴香に顔を向けることなく、背中を向けて足早にその場を去る。
正直な左目には、言いようのない悲しさが浮かんでいたことに気づかずに。
「ま、待って…!!」
晴香の声が聞こえる。
通路をふさぐ椅子をかく音が聞こえる。
それでも八雲は止まることはなかった。
傷つけることしかできない自分に、守りたい彼女ヒトを傷つけたくなかった。
八雲は感情の整理がつかなくて、間違いなく傷つける気がした。
晴香と一緒にいた人たちはその様子を好奇なまなざしで見ていた。

「キャッ…!!」
晴香の悲鳴に、八雲は思わず振り返った。
ちょうど晴香が倒れ込むところだった。
反射的に、八雲は腕をのばして晴香を支える。
八雲はそのまま無意識に晴香を自分のもとへ寄せた。
ふー。八雲は息を吐いた。
「君は一体、どれほどこけるのが好きなんだ。」
あきれた声で八雲は言う。
「す、好きじゃないもん。八雲君のバカー!!」
目に涙を浮かべて晴香が言う。
バカと言うためだけに顔をあげたようで、八雲の胸に顔をうずめている。
手でたたかれないだけましだというのか、ふと八雲は思った。
「で。用がないなら僕は行くよ。君と違って忙しいんだ。」
「用があるから追いかけたんじゃない。」
そう言って晴香は一呼吸つく。
ギュッと八雲のシャツが引っ張られる。
「ごめんなさい!!」
八雲の胸に顔をうずめたまま晴香が言う。
「八雲君、優しいのに、いつも八雲君の悪い話しかしていなくて。」
「別に君が知っていたらそれでいい。」
驚いた顔の晴香と目が合う。
見る見るうちに、晴香の顔に笑みが戻る。
「八雲君、大好きだよ〜。」
小声で晴香が言う。
その顔が幸せそうで、単純、と小声で八雲は言うが、それは晴香の耳に届いていない。

僕がためらうのも知らずに、どうして君は飛びこめるの。
僕に触れたら壊れてしまうかもしれないのに、どうして君から触れるの。
どうして君から飛びこめるの。
こんな呪われた僕のもとへ――

虚空をさまよっていた左腕は、
そっと晴香の背後に回された。
今はただ、このぬくもりがいとおしい―――――。
テーマが「転倒」らしいです。
なんかいろいろと書いているうちに暴走してしまいましたが、当初あった案は、
・後輩に教えた後晴香は映画研究同好会へ向かった→八雲不在でメールで場所を聞き、あわてて教室に戻るも、机に足引っ掛けて転倒。
・噂話が八雲の悪い噂で、肯定も否定もしない晴香にショックを受けた八雲が立ち去る→追いかけ晴香が転倒。
の二つです、たぶん。
噂話の方を却下したのは、「絆」を読んでいないため、なんか扱いにくい気がしたからです。それ以外は文庫版含めて全部読んでいますが。
ちなみにところどころ、自分のオリジナルの子が出てきています。
人物名を考えるのが嫌になった(笑
余談だと、椿さんには一途な彼氏がいます。まぁ、そのエピソードはいつか書くつもりですが。

戻りませう